2017年12月15日

ゼバニヤ書2 ゼバニヤの出自(ゼバニヤ書1章1節〜9節)



 ユダの王、アモンの子ヨシヤの時代に、クシの子ゼバニヤにあった主のことば。クシはゲダルヤの子、ゲダルヤはアマルヤの子、アマルヤはヒゼキヤの子である。(ゼバニヤ書1章1節)

 ゼバニヤの出自は、ヒゼキヤ王までもどっています。クシ、ゲダルヤ、アマルヤ、ヒゼキヤと、五代も遡っているのは、王につながる家柄であることが、重要だったのでしょうか。イザヤも王族の一人だったと言われています。預言者の場合、家柄は召命と関係がないように見えるのす。預言者の口に言葉を置かれるのは神だからです。それでも、言葉を聞くのは人間ですから、預言者の世俗の身分や出自は、意味があったのかもしれません。とくに、預言が国家存亡の大きな出来事を告げるものであるなら、危機にかかわっている身分の高い人たちの耳に届かなければ、意味がありません。王や、貴族、各氏族の指導者、長老。中でも、責任がある立場にありながら、自分の神を捨てて偶像を拝んでいる者には、危機を知らせる必要があります。

  わたしは必ず地の面から、
  すべてのものを取り除く。
  ――主の御告げ――(2節)
  わたしは人と獣を取り除き、
  空の鳥と海の魚を取り除く。
  わたしは悪者どもをつまずかせ、
  人を地の面から断ち滅ぼす。
  ――主の御告げ――(3節)

 これはたしかに恐ろしい宣告です。地の面から、人、鳥、魚、獣をすべて断ち滅ぼすというのです。万物を創造され、御手に握っておられる神様が仰せなのですから、たんなるコケ脅かしではありません。ノアの時代の洪水のように、地上をリセットされるのです。「――主の御告げ――」と繰り返されていますから、権威があります。

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 罰を受ける者、警告の原因となっている者たちが列挙されていきます。 

  わたしの手をユダの上に、
  エルサレムのすべての住民の上に伸ばす。
  わたしはこの場所から、バアルの残りの者と、
  偶像に仕える祭司たちの名とを、
  その祭司たちとともに断ち滅ぼす。(4節)

 一番に挙げられているのは、ユダとエルサレムにいて、異教の神に仕える者たちです。
 バアルはすでに祭壇をもっていたのでしょう。祭司もいて、あろうことかエルサレム神殿の中に祭壇があったことが記されていますから、もはや、イスラエルの神(ヤーウエ)より一般的であったかもしれません。また、異教礼拝をする者は、星占いをし、子供の犠牲をささげるミルコムなどを祀りました。ミルコムはアモン人の神ですが、パレスチナ全域に住むフェニキヤ人に由来するという解説もあります。
  https://www.gotquestions.org/Japanese/Japanese-who-molech.html

  また、屋上で天の万象を拝む者ども、
  また、主に誓いを建てて礼拝しながら、
  ミルコムに誓いを立てる者ども、(5節)
  また、主に従うことをやめ、主に尋ね求めず、
  主に求めない者どもを立ち滅ぼす。(6節)

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  神である主の前に静まれ。
  主の日は近い。主が一頭のほふる獣を備え、
  主に招かれた者を聖別されたからだ。(7節)

 ここで言われている「一頭のほふる獣」は、ユダとエルサレムです。(新実用聖書注解) 
 主のお怒りの厳しさが凝縮された表現です。
 もちろん、その時には、その中にいる人間――外国の服をまとったもの――を罰せられるのです。

  主が獣をほふる日に、
  わたしは首長たちや王子たち、
  外国の服をまとったすべての者を罰する。(8節)
  その日、わたしは、
  神殿の敷居によじのぼるすべての者、
  自分の主人の家を暴虐と欺きで満たす者どもを
  罰する。(9節)

 エルサレムの神殿は、本来、イスラエルの神のために建てられたものです。イスラエルの人々にとって、そこでお会いできる神が、「神の民イスラエル」の主人です。その主人の家を、暴虐と欺きで満たす者(偶像で満たす者)が、罰せられるのは当然です。









posted by さとうまさこ at 10:56| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする