2017年11月25日

ナホム書2 「滅ぼし尽くす」と宣告される神(ナホム書1章7節〜13節)



 ナホム書は、その最初にのべられているように、ニネベに対する「さばきの」宣告です。その対象は、アッシリヤの首都だったニネベだけに向けられ、それはアッシリヤそのものの滅亡を意味しています。
 「主はねたむ神」であるのは、出エジプト記20章5節24節、十戒が語られるところで、主ご自身が宣言しています。復讐する神であることも、申命記32章35節で宣言しておられます。さばきを下すお方は、当然厳しい方なのです。さばきは、悪に対して下されるものですから、さばきをされる方は、とうぜん悪に対して厳格な反応をされる方なのです。この場合の悪も、人間同士の相対的な、どちらにも言い分があるような悪ではなく、神の目からごらんになって許しがたい悪です。

 創世記の初めから、神が厭われ裁かれる基準は、神の命令に背くことでした。アダムとエバが楽園を追放されたのは、知恵の実を食べたからである以上に、「神が食べることを禁じられていた」実を食べたことでした。
 神には、お造りになった人を楽園に置かれて、永遠に、何不自由のないくらしをさせようとする「愛」がありました。同時に、神が人に期待しておられたのは、神の愛を享受するだけでなく、神のご命令を守り、神の愛に感謝し、いつまでも神とともに語り合えるような関係でした。

  主はいつくしみ深く、
  苦難の日のとりでである。
  主に身を避ける者たちを
  主は知っておられる。(ナホム書1章7節)

 アダムとエバを追放したのは、主のいつくしみの表れでした。たとえ、楽園から離れても、主は、人が神に身を避けることを願っておられたのです。主が苦難の日のとりでであることは、聖書を読めば明らかです。ノアの日をはじめ、主は、正しい人たちを選んで、保護されたのは事実です。そうして、正しくない人は、時に滅ぼしてこられたのです。

  しかし、主は、あふれみなぎる洪水で、
  その場所を滅ぼし尽くし、
  その敵をやみに追いやられる。(8節)

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  あなたがたは主に対して何をたくらむのか。
  主はすべてを滅ぼし尽くす。
  仇は二度と立ち上がれない。(9節)

 ここからはさばかれる者に対してのことばです。「あなた」は、アッシリヤを指しています。隆盛を誇ったアッシリヤも、二度と立ち上がれないほどに壊滅させられるのです。神がそれを行われるとき、それはいかなる軍隊でも権力でも防ぐことができません。
 次の、「彼ら」「あなた」もアッシリヤです。

  彼らは、からみついたいばら。
  大酒を飲んだ酔っぱらいのようであっても、
  かわいた刈り株のように、
  全く焼き尽くされる。
  あなたのうちから、
  主に対して悪だくみをし、
  よこしまなことを計る者がでたからだ。(11節)

 かつて、ヨナに命じて、アッシリヤに悔い改めさせられた神も、アッシリヤに対して、「全く焼き尽くす」と仰せなのです。主が、「憐れみ深く、怒るに遅い」お方ですが、とうとう猶予期間がなくなったのです。

  主はこう仰せられる。
  「彼らは安らかで、数が多くても、
  刈り取られて消え失せる。(12節a)

 ここで、「彼ら」と示されているのは、アッシリヤです。つぎの、「あなた」は、ユダです。
 神がアッシリヤを生かしてこられたのは、彼らのやり方を容認しておられたからではありません。神は、アッシリヤを用いて、ユダやイスラエルを取り囲む周辺国に介入してこられたのです。偶像礼拝に陥ったイスラエル王国を滅ぼし、ユダ王国にアッシリヤの脅威を与えられたのも、主が、「神の民」を製錬するためにアッシリヤを用いられたのでしょう。
 しかし、アッシリヤの滅亡で、アッシリヤが脅威だった時代は終焉を迎えるのです。

  わたしはあなたを苦しめたが、
  再び、あなたを苦しめない。(12節b)
  今、わたしは彼のくびきを
  あなたからはずして打ち砕き、
  あなたをなわめから解き放す。」(13節)










posted by さとうまさこ at 09:14| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする