2012年05月27日
Coffee Breakヨシュア記・士師記・ルツ記・サムエル記276 アビガイルという女性(Tサムエル記25章)
ダビデはアビガイルに言った。「きょう、あなたを私に会わせるために送って下さったイスラエル人の神、主がほめたたえられますように。(Tサムエル記25章32節)
あなたの判断がほめたたえられるように。また、きょう、私が血を流す罪を犯し、私自身の手で復讐しようとしてのをやめさせたあなたに、誉れがあるように。(33節)
私をとどめて、あなたに害を加えられなかったイスラエルの神、主は生きておられる。もし、あなたが急いで私に会いに来なかったなら、確かに明け方までにナバルには小わっぱひとりも残らなかったであろう。」(34章)
ダビデはアビガイルの手から彼女が持ってきた物を受け取り、彼女に言った。「安心してあなたの家へ上って行きなさい。ご覧なさい。私はあなたの言うことを聞き、あなたの願いを受け入れた。」(35節)
アビガイルとダビデの物語は、表面的には、きわめて単純です。アビガイルは、頑迷な夫の、ダビデへの無礼な仕打ちをひそかに補う賢い妻です。アビガイルの適切な言動で、ダビデのナバルへの討伐はとどめられ、無駄な血を流す戦いは避けられたのです。ナバルの家は無事であり、一方ダビデも無駄な血を流さずに済みました。ダビデは王として神から油をそそがれた者であり、いつか王になるのは確実なものだったのですから、いくら苦しい雌伏の期間であるとは言え、流血などは避けるに越したことはないのです。まして、復讐は、神のことばに背く行為です。(申命記32章35節)復讐のための流血は、ダビデの生涯の汚点になったでしょう。(Coffee Breakヨシュア記・士師記・ルツ記・サムエル記268 復讐は神のもの)参照
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ここまでの話は、緊迫した一篇の美談です。日本でも、ふた世代前(四十年くらい前まで?)は、頑迷なご主人の無作法を、賢い奥さんが取り成すのは美談でした。
ただ、この話は、「後日談」があります。妻から一部始終を聞かされたナバルは、「気を失って石のようになった」のです。ショックのあまり気絶したのでしょう。そのまま、彼は意識を回復することなく、十日後に死にます。想像するに、大酒に酔っていたナバルは卒中に倒れ、そのまま亡くなったのかもしれません。
それがダビデの耳に入ったとき、ダビデはすぐさまアビガイルにプロポーズし、また、ダビデの使者からプロポーズの言葉を聞いたとき、アビガイルはすぐさまそれを受けて、ダビデのもとへ行くのです。
このあたり、どうも私たち日本人の感性からすると、釈然としないのです。いくら良い夫でなかったとはいえ、アビガイルは夫に対して一縷の情愛もなかったのか、と思わせるのです。さらに、アビガイルは名に聞こえた大金持ちの奥さんです。社会的な対面や義務もあったことでしょう。ここには、ダビデとの再婚が、ナバルの死後どれほど経ってからかが書かれていませんが、イスラエルにも「喪に服す」習慣はありました。
また、ダビデにとっては、アビガイルは三人目の妻でした。サウルの娘ミカルはサウルがほかの男に与えたという噂もあり、事実上結婚生活は壊れていたのですが、イズレエル出身のアヒノアムがいました。
一夫多妻は、当時のイスラエルでは一般的だったようですから、今の価値観で批判することはできませんが、何となく釈然としないのです。
聖書物語「つむじ風の谷・アビガイルとダビデ」を書くとき、私にとって一番大きな問題は、アビガイルという女性の大胆な決断がどこから来るのかを、自分なりに把握することでした。ぜひ、併せてお読みいただきたいと思います。
聖書物語「つむじ風の谷・アビガイルとダビデ」
http://genisis2.seesaa.net/article/158556973.html?1313967961


