2018年02月24日

マラキ書1 マラキ書の意味するところ(マラキ書1章1節〜4節)




 いよいよ旧約聖書の39番目の書物、マラキ書に入ることができます。
 まず、このことを、聖書の著者である神さまに感謝申し上げます。

 最初にお断りしておきます。新実用聖書注解・いのちのことば社によれば、マラキが固有名詞か、一般名詞かで、いまも論争があるそうです。一般名詞と考える根拠は、マラキと言う名が、聖書のほかの箇所に一度も出て来ないこと、70人訳では「彼(主)の使者」と訳されていることだとあります。固有名詞と考える論拠は、聖書のすべての預言者は冒頭に「その預言を与えられた者の名を記していること」です。
 どうやら、一般名詞説の論者には、マラキは、エズラではないかとの推測があるようなのです。(新実用聖書注解P1279)
 さとうは、この議論を推し進めるような知識もありませんから、ここでは、ほかの通読と同じく、マラキ書を預言者マラキが書いたものだという前提で読んでいきます。

 宣告、マラキを通してイスラエルにあった主のことば。(マラキ書1章1節)
 

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  「わたしはあなたがたを愛している」と、
  主は仰せられる。
  あなたがたは言う。(2節a)

 これは、神様に対する信仰者の普遍的な問いかもしれません。神が私たちを愛してくださっているのが前提で、始まっている聖書の物語です。神様は私たちを愛の対象として創造してくださったのです。
「さあ、人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて、彼らが海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのものを支配するように。」(創世記1章26節)
 この神のことばは、人がいかに特別な被造物であるかを示しています。私も何度読んでも、感激します。

 同時に、聖書の物語が展開するにつれて、「特別」の意味がだんだん明らかになってきます。
 特別であるゆえ、私たちは神様と深い関係を持つことになります。神は、「人として守るべき命令」を、人に下されます。人は、単純な一つの命令を守ることができません。
その結果、楽園からの追放があり、長い長い人の苦難が始まります。

 「どのようにあなたが私たちを
  愛されたのですか」と。(2節b)

 人は、しばしば神に問います。

  「エサウはヤコブの兄ではなかったか。
   ――主の御告げ――
  わたしはヤコブを愛した。(2節c)
  わたしはエサウを憎み、
  彼の山を荒れ果てた地とし、
  彼の継いだ地を荒野のジャッカルのものとした。(3節)
  たといエドムが、
  「私たちは打ち砕かれた。
  だが、廃墟を建て直そう」と言っても、
  万軍の主はこう仰せられる。
  「彼らは建てるが、わたしは打ちこわす。
  彼らは、悪の国と言われ、
  主のとこしえにのろう民と呼ばれる。(4節)







posted by さとうまさこ at 12:00| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする