2012年09月01日

Coffee Breakヨシュア記・士師記・ルツ記・サムエル記361 バルジライ(第Uサムエル記19章31節〜35節)




 ダビデ・アブシャロム戦争を見ますと、最大の功労者はマハナイムの有力者バルジライです。
 都落ちしたダビデ一行は、できる限り、アブシャロムからの追撃を逃れようとしていたのです。戦いの態勢が整う前に戦端が開かれると、一方的に打ち負かされることになりかねません。エルサレムのすぐ北はベニヤミンの領地です。ベニヤミンはサウル王の出身地ですから、当然ダビデに反感をもっています。シムイが出て来て、石を投げたのは、ある意味「石」くらいで良かったとも言えます。ダビデがすぐに、ヨルダン川を渡ってガドに入ったのは、自然の成り行きですが、ガドは、その始祖がヤコブの二人妻の一人レアが自分の女奴隷ジルパに産ませた息子でしたから、レア系のユダとはより近い兄弟関係だと思われていたかもしれません。
 対するマナセとベニヤミンは、ヤコブのもう一人の妻ラケルが生んだヨセフとベニヤミンから発しています。ヨセフの二人の息子マナセとエフライムが部族を起こし、それぞれ相続地を得たのです。

 復習しますと、ヤコブ(イスラエル)の子供は十二人でしたが。ヨセフ家が二人立ったため合計十三部族になったのです。ただし、レビ族は祭司、祭祀儀礼にかかわる家なので相続地がなく、いわば国家から給料をもらって生活したのです。結果的に、イスラエルは十二部族の相続地で成立しているのです。

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 あまり細かい、また、古い出来事に言及すると、読者をいたずらに煩わせるかとも思いますが、マハナイムと言う町についても説明しておきましょう。
 マハナイムは、アブラハムの孫ヤコブが伯父ラバンから逃れてカナンに戻って来る途中、神の使いたちが現れた所です。(創世記32章1節)ヤコブが「ここは神の陣営だ」と呼んだことから、マハナイムと名前が付いたと書かれています。
 その後、ヨシュアの、相続地分配に際して、レビ族のケハテ諸氏族の居住地および放牧地として、マハナイムが与えられたと記録があります。(ヨシュア記21章38節)
 
 ケハテ諸氏族は祭司アロンの家系ですから、バルジライも名門の出で祭司を兼ねていたかもしれません。(筆者の推測です)
 
 ダビデがマハナイムに来たとき、このバルジライが、ダビデに多くの物資を提供し、援助してくれたことは、ダビデ軍の立て直しに大きな意味をもちました。(第Uサムエル記17章27節〜29節)

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 ギルアデ人バルジライは、ログリムから下って、ヨルダン川で王を見送るために、王といっしょにヨルダン川まで進んできた。(第Uサムエル記19章31節)
 バルジライは非常に年を取っていて八十歳であった。彼は王がマハナイムにいた間、王を養っていた。彼は非常に富んでいたからである。(32節)


 バルジライは、無事エルサレムに戻ることができるダビデを見送りに、ヨルダン川までやってきたのです。確かに、暖かい心のこもった見送りは、もてなしの締めくくりとして大切です。
 ダビデは、この老人のしてくれたことに対し、無条件に感激していたに違いありません。

 王はバルジライに言った。「私といっしょに渡って行ってください。エルサレムで私のもとであなたを養いたいのです。」(33節)
 バルジライは王に言った。「王といっしょにエルサレムに上って行っても、私はあと何年生きられるでしょう。(34節)
 私は今、八十歳です。私はもう善悪をわきまえることができません。しもべは食べる物も飲む物も味わうことができません。歌う男や女の声をきくことさえできません。どうして、このうえ、しもべが王さまの重荷になれましょう。(35節)


 ここにもまた、神の前に、正直で、謙虚な人がいます。
 私たちは、今、年齢相応であることを認めることが、なかなか容易でない世界に生きています。小さな子供たちは早くから、必要以上に知識を詰め込まれます。豊かだけれども窮屈な学校生活を送り、完全に大人になっても親に養われています。一方、退職して年金暮らしになっても、「まだまだ若い者に負けない」と宣言するお年寄りは、一つのあるべきモデルです。アンチエイジングの研究も進んでいます。人類の叡智、科学の粋を極めれば不老不死も夢ではないと、思わせるような情報の中にいます。
 元気であるにこしたことはありませんし、長寿は推奨されるべきことでしょう。けれども、バルジライのダビデへの答え――私は今、八十歳です。私はもう善悪をわきまえることができません。しもべは食べる物も飲む物も味わうことができません。歌う男や女の声をきくことさえできません。

 王を援助するほどの財力と、複雑な政治情勢を見ぬく判断力を持ちながら、この達観した言葉に、私は清々しいものを感じるのですが。






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2012年09月02日

Coffee Breakヨシュア記・士師記・ルツ記・サムエル記362 バルジライという生き方 (第Uサムエル記19章35節、マタイの福音書25章34節〜48節)


 私は今、八十歳です。私はもう善悪をわきまえることができません。しもべは食べる物も飲む物も味わうことができません。歌う男や女の声をきくことさえできません。どうして、このうえ、しもべが王さまの重荷になれましょう。(第Uサムエル記19章35節)

 マハナイムの有力者バルジライは、ダビデが都落ちしてマハナイムまで来たとき、たくさんの物資を支援して、ダビデの後ろ盾になりました。さらに、ダビデ軍の勝利が確定して、ダビデがエルサレムに戻るときにはヨルダン川まで、彼を送って出て来ました。
 ダビデはバルジライが苦境を助けてくれたことを心からありがたく思ったに違いありません。バルジライに、「私といっしょにヨルダン川を渡ってエルサレムに来てください」と招いたのです。」今度はダビデがバルジライを死ぬまで養おうというのです。
 王の招きを断って、バルジライは、19章35節のような返事をするのです。
 昔も今も、八十歳が高齢であることに変わりはありません。昔は、いまより寿命が短く、八十歳まで生きる人はずっと少なかったでしょう。なにしろ、七十歳でも「古稀(こき)」と呼んだのです。
 歯が欠け、目もうとくなり、耳も遠くなってくると、人生の楽しみの多くが価値を失います。どんなご馳走も味わえず、素晴らしい歌舞楽曲を見ても楽しめません。ひるがえって、正装して居ずまいを正していなければならない宮廷生活は、老人にとって苦痛でさえあるでしょう。

 バルジライは、自分の身の程を知っていました。たぶん、最初から、王に取り入ってあわよくばもっと出世しようと言った下心はなかったのではないでしょうか。
 むしろ、ダビデを支援することは危険をはらんでいたはずです。都落ちしてくるダビデを、様子見して、遠目に見送った有力者はたくさんいたはずです。

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 イエス様は、御国の王の話すたとえ話として、おっしゃっています。

 「『さあ、私の父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。(マタイの福音書25章34節)
 あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、(35節)
 わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。』(36節)
 すると、その正しい人たちは、答えて言います。
『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹なのを見て、食べる物を差し上げ、渇いておられるのを見て、飲ませてあげましたが。(37節)
 いつ、あなたが旅をしておられるときに、泊まらせてあげ、裸なのを見て、着る物を差し上げましたか。(38節)
 また、いつ、私たちは、あなたのご病気やあなたが牢におられるのを見て、おたずねしましたか。』(39節)
 すると、王は彼らに答えて言います。『まことにあなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも、もっとも小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』(40節)
 

 空腹で、渇いていて、病気で、泊まるべき宿がない旅人といえば、今日的には、ホームレスのような人が想定されます。物資が有り余る豊かで平和な先進国で、ホームレスであることは悲惨です。福祉の施策が前進し、充実することだけでなく、何かできることを個人個人が考えるだけでも、救われる人がいることでしょう。
 しかし、聖書をそのような社会構造の底辺にいる人、社会的経済的弱者と言った視点だけで見ると、その意味の奥深さを見落としてしまわないでしょうか。
 ダビデは一国の王であり、都を捨てて出たとはいえ、多くの人が彼に従っていました。彼に石を投げる人もいましたが、彼とともに死をも覚悟してくれる者も大勢いたのです。決して、社会的底辺にいる弱者ではありません。王に恩を売って、得をしようとしたものもいたのです。事実、メフィボシェテのしもべツィバのように、幾ばくかの援助と引き換えに、抜け目なく領地をもらう約束を手に入れた者もいたのです。

 マタイのたとえ話の真意は、見返りの期待できない者への援助です。
 バルジライは、見返りを期待していませんでした。彼は、ダビデが息子に叛かれたという悲劇の渦中にいることを、憐れに思ったのでしょう。そうして、マハナイムの町に入れ、ダビデ一行を養い、泊まらせ、飲ませ、見舞ったのです。
 バルジライこそ、神様の義を行ったのです。





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2012年09月03日

Coffee Breakヨシュア記・士師記・ルツ記・サムエル記363 勝利の分け前(第Uサムエル記19章37節〜43節)



 このしもべを帰らせて下さい。私は自分の町で、私の父と母の墓の近くで死にたいのです。しかしここに、あなたのしもべキムハムがおります。彼が王さまといっしょに渡ってまいります。どうか彼に、あなたの良いと思われることをなさってください。」(第Uサムエル記19章37節)
 王は言った。「キムハムは私といっしょに渡って来てよいのです。私は、あなたが良いと思うことを彼にしましょう。あなたが、私にしてもらいたいことは何でも、あなたにしてあげましょう。」(38節)
 こうして、みなはヨルダン川を渡った。王も渡った。それから、王はバルジライに口づけをして、彼を祝福した。バルジライは自分の町へ帰って行った。(39節)


 キムハムはバルジライの息子ではないかと思われます。(新実用聖書注解・いのちのことば社)息子が父に代わってダビデに仕えるというわけです。もとより、ダビデはキムハムの随行を許します。キムハムの将来さえ約束します。

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 王はギルガルへ進み、キムハムもいっしょに進んだ。ユダのすべての民とイスラエルの民の半分とが、王といっしょに進んだ。(40節)

 ガドからベニヤミンの地にヨルダン川を渡ると、最初の町がギルガルです。
 ギルガルは旧約聖書ではきわめて重要な地名です。ヨシュアの時代、ヨルダン川を無事渡り終えて最初に宿営した地点で、そこで、イスラエル人はヨルダン川から背負って来た十二個の石を立てて記念としたのです。また,エジプトを出て以来、割礼を受けていなかった若い世代に割礼を施し(ヨシュア記5章3節〜8節)、神との契約を新たにしたのです。さらに、ここで、四十年間続いてマナが終了したことも記録されています。(ヨシュア記5章11節12節)
 また、サムエルの時代は、エルサレムに異邦人が住んでいて、定まった都がありませんでした。そこで、サムエルは毎年ベテル、ギルガル、ミツバを巡回して民を裁いた(Tサムエル記7章15節)のです。
 このギルガルまで戻って来ることができたのは、事実上、勝利の凱旋を意味します。

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 するとそこへ、イスラエルのすべての人が王のところにやって来て、王に言った。「我々の兄弟、ユダの人々は、なぜ、あなたがたを奪い去り、王とその家族に、また王といっしょにダビデの部下たちに、ヨルダン川を渡らせたのですか。」(41節)

 勝利の後に来るのは、利益の奪い合いです。弱っている時は見向きもしなかった者らがやってきて、自分こそ、王の一員であると主張するのです。
 ダビデはもともとユダ族で、彼の王朝はかなりユダ族で固められていたのでしょう。その不満を他のイスラエル部族の者たちがぶつけてきたのかもしれません。

 
 ユダの人々はすべてのイスラエルの人々に言い返した。「王は、われわれの身内だからだ。なぜ、このことでそんなに怒るのか。いったい、われわれが王の食物を食べたとでも言うのか。王が何かわれわれに贈り物をしたとでもいうのか。」(42節)
 イスラエルの人々はユダの人々に答えて言った。「われわれは、王に十の分け前をもっている。だからダビデにも、あなたがたよりも多くを持っているはずだ。それなのに、なぜ、われわれをないがしろにするのか。われわれの王を連れ戻そうと最初に言い出したのは、われわれではないか。」しかし、ユダの人々のことばは、イスラエルの人々のことばより激しかった。(43節)


 このように利害欲得の思惑で、喧々諤々になるのが、人間でしょうか。とはいえ、イスラエルは、神がとくに選んで、育成されようとしている「神の民」だったのです。
 すべてをご承知とは言え、神さまはこれらの争いをどのようにご覧になっていたでしょう。
 こうしたイスラエル内の不和が、やがては、イスラエル国家の分裂弱体につながり、大国による蹂躙、捕囚、植民地化への道を辿らせることになるのです。







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2012年09月04日

Coffee Breakヨシュア記・士師記・ルツ記・サムエル記364 扇動する者(第Uサムエル記19章41節〜20章4節)




 たまたまそこに、よこしまな者で、名をシェバという者がいた。彼はベニヤミン人ピクリの子であった。彼は角笛を吹き鳴らして言った。
     「ダビデには、
     われわれのための割り当て地がない。
     エッサイの子には、
     われわれのためのゆずりの地がない。
     イスラエルよ。おのおの自分の天幕に帰れ。」(第Uサムエル記20章1節)


 争いがあるところには、扇動する者が現れます。人の罪の性質の中に、支配欲もあります。自分の意のままに周囲の人を動かしたいのです。
 社会を作って協働して生きること、組織があることは、罪の性質ではないでしょう。神は人と人が協働するようにお造りになったのです。要は、その協働や社会を成立・回転させるビスや潤滑油にあたる物が、「愛」であるようにと仰せになっているのです。
 しかし、この「愛」を実践するのが容易でないのは、だれでも気がついています。ここで、愛には三種類あるなどと、説明するつもりはありません。男女の愛や、親子の愛のように本能的な愛でさえ、いかなる時も、継続的に、実践するのは不可能なのです。
 まして、小さな血縁を超えた集団では、愛と対照的な「自己愛、エゴイズム」が支配します。
 組織の上に立つ人、要(かなめ)にいる人が疲れてしまうのは、愛だけでは組織は機能しないからではないでしょうか。裏返せば、組織や人を動かすほどの愛を人が持つのは、不可能だということかもしれません。まさに私たちは、「神ならぬ身」なのです。

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 ダビデが凱旋して来たとき、ダビデの厚意を受けようとして、多くの人が先を争ってやってきました。やって来たもの同士が、争いになりました。(第Uサムエル記19章41節〜43節) 
 その中から、ベニヤミン人のシェバという者が、とつぜんイスラエル人を扇動し始めたのです。
 シェバのことばを、今日風に言いかえるとつぎのようになるでしょうか。
 「無理無理。喧嘩したってユダ族の奴らに勝てっこないよ。ダビデは結局、自分の身内をひいきするさ。イスラエルの(十部族の)者たちよ。ダビデなどに跪かず、さっさと自分たちの領地に帰ろう。ダビデの支配下に入らず、自分たちの領地は自分たちで治めればよいのだ。」

 
 状況が自分の意のままにならない時、自分だけが諦めて、引き下がればよいと思うのです。あるいは、自分だけで、相手に訴えればよいと思うのです。けれども、私たちは、どうしても一人で、胸に収めることができません。ひとりで敗北者になることができません。ひとりで、楯突くものになることができません。
 他人を煽って、どうかすると、自分の憤懣を、だれかに負わせようとするのです。

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 そのため、すべてのイスラエル人は、ダビデから離れて、ピクリの子シェバに従って行った。しかし、ユダの人々はヨルダン川からエルサレムまで、自分たちの王につき従って行った。(20章2節)

 こうして、せっかく、ダビデ・アブシャロム戦争が終結したというのに、イスラエル十部族とユダの間に戦争が勃発するのです。ダビデはユダ側の将軍として、アブシャロムに従ったアマサを指名しました。(4節)






 
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2012年09月05日

Coffee Breakヨシュア記・士師記・ルツ記・サムエル記365 ヨアブとアマサ(第Uサムエル記20章4節〜10節)




 さて。王はアマサに言った。「私のために、ユダの人々を三日の内に召集し、あなたもここに帰って来なさい。」(第Uサムエル記20章4節) 

 アマサはダビデの姉(妹?)ツェルヤの妹アビガル(アビガイル)の子どもです。ダビデの甥で、ヨアブやアビシャイとはいとこ同士になります。アマサが一度は、アブシャロムの反乱軍の指揮官に選ばれていたのに、許されたのは、それなりの酌量の余地があったのでしょう。アブシャロムが、ヘブロンで王就任宣言する時、ついて行った多くのものが、アブシャロムに招かれただけで真相を知らなかったのですから、アマサもそうだったのかもしれません。なお、Tサムエル記25章にナバルの妻アビガイルと言う女性が出ていますが、もとより別人です。

 そこでアマサは、ユダの人々を召集するために出て行ったが、指定された期限に間に合わなかった。(5節)
 ダビデはアビシャイに言った。「いまやピクリの子シェバは、アブシャロムよりももっと、ひどいわざわいを、われわれにしかけるに違いない。あなたは私の家来を引き連れて彼を追いなさい。でないと、彼は城壁のある町に入って、のがれてしまうだろう。」(6節)
 それで、ヨアブの部下と、ケレテ人と、ペレテ人と、すべての勇士たちとは、アビシャイのあとに続いて出て行った。彼らはエルサレムを出て、ピクリの子シェバのあとを追った。(7節)
 

 聖書は、戦記物ではないので、戦を記録している箇所でも、実際の軍の組織や動きについて、あまり具体的に記されていないと思います。もとより、古代イスラエルでは、近代以降の国家が持っているような厳格な軍隊組織や規律はなかったのでしょう。家族や部族の利害に応じて忠誠や団結があり、戦のときには、健康でありさえすれば、普通の男たちが全員兵士になったと思われます。しかし、戦が歴史や国家勢力の大きな動力になったのは否めないでしょう。勝ち戦は国を生かし、負ければ、国は滅んだのです。戦功は、大きな出世のチャンスだったのです。司令官や将軍になることは、権力を手に入れるのと同じことだったのです。

 ダビデはシェバを追うためにアマサを任命しました。アマサがユダの人々を召集して戻って来るのに遅れると、アビシャイを任命しています。このような人選は、つい何気なく読み過ごしてしまいますが、これは、当事者たちにとってとても大きな意味をもっていたのです。
 アビシャイとヨアブは、ダビデが逃亡生活をしていたときから、ダビデを支えて戦ってきたダビデの甥です。どちらも熱血漢で激しい気性の持ち主です。ただ、ヨアブは、同時に、なかなかの策士であったようです。ダビデ王朝の将来を思ってか、彼の生来の残酷さのためかはわかりませんが、サウルの将軍だったアブネルを暗殺(だまし討ち)しています。アブシャロムに対しても、木に引っ掛かっているアブシャロムの処置を部下が質問して来たとき、「殺すよう」命じ、部下が尻込みすると自ら槍を取り、殺しています。(第Uサムエル記18章14節)

 力あるヨアブを差し置いて、ダビデがアマサに代るものとしてアビシャイを任命したことは、ヨアブの気持ちを逆なでしたようです。彼はもちろん、仲の良い兄弟アビシャイには、復讐しません。
 けれども、遅れて合流してきたアマサに、その怒りをぶつけています。

 彼らがギブオンにある大きな石のそばに来たとき、アマサが彼らの前にやってきた。ヨアブは自分のよろいを身に着け、さやに納めた剣を腰の上で帯で結びつけていた。彼が進み出ると、剣が落ちた。(8節)
 ヨアブはアマサに、「兄弟。おまえは元気か」と言って、アマサに口づけしようとして、右手でアマサのひげをつかんだ(9節)
 アマサはヨアブの手にある剣に気をつけていなかった。ヨアブが彼の下腹を刺したので、はらわたが地面に流れ出た。この一突きでアマサは死んだ。(10節)









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