2012年10月01日

Coffee Breakヨシュア記・士師記・ルツ記・サムエル記400 勇士たち(第Uサムエル記23章8節〜12節、詩編121篇1節〜2節)



 第Uサムエル記23章には、ダビデの勇士たちの名前が挙がっています。三勇士、三十人の勇士など、きりの良い数字で、読み物としても記録としても印象的なものとなっています。三という数字は、今日でもオリンピックなどで上位三人にメダルが与えられるのに似ています。それではかわいそうだとではないかと、八位までを「入賞」と呼んだりします。
 もっとも、日本には、頼りになる家臣、側近、勇士などを、四天王と呼ぶこともあります。義経の四天王、家康の四天王などと言います。

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 ダビデの勇士たちの名は次のとおりであった。補佐官のかしら、ハクモニの子ヤショブアム。彼は槍をふるって一度に八百人を刺し殺した。(第Uサムエル記23章8節)

 この三勇士の「勇猛ぶり」は、今読むと、多少漫画チック(が言いすぎなら)、少し、現実離れしています。実際には、鋼の日本刀でも、何人かを切ると刃こぼれしたそうですし、仮に道具持ちがいて、つぎつぎ槍を取り換えてくれたとしても、八百人に連勝と言うのはありうるのでしょうか。それほど、すごい体力気力、技術の達人だったということでしょうか。この表現は計数的事実ではなく、文学的修辞に近いと思われます。

 彼の次は、アホアハ人ドドの子エリアザル。ダビデにつく勇士のひとりであった。彼がペリシテ人の間でそしったとき、ペリシテ人は戦うためにそこに集まった。そこで、イスラエル人は攻め上った。(9節)
 彼は立ち上がり、自分の手が疲れて、手が剣について離れなくなるまでペリシテ人を打ち殺した。主はその日、大勝利をもたらされ、兵士たちが彼のところに引き返してきたのは、ただ、はぎ取るためであった。(10節)


 手が疲れて、手が剣について離れなくなるまで、とは、また面白い表現です。疲れたから、剣を落とすのではなく、疲れて手に握りしめる意思がなくなっても、手が剣を掴み、剣は手から離れないというのです。手のひらに食い込んでいたのでしょうか。ここからは、エリアザルの、ものすごい執念と意志力が読み取れます。なるほど、勇士とはこういう人かと思わされます。野球選手におけるバッドやボールの握り。バレーボールやサッカー選手など、球技とボールの関係、剣道や弓を習っている方々なら、わかる表現ではないでしょうか。

 彼の次はハラル人アゲの子シャマ。ペリシテ人が隊をなして集まったとき、そこにはレンズ豆の密生した一つの畑があり、民はペリシテ人の前から逃げたが、(11節)
 彼はその畑の真ん中に踏みとどまって、これを救い、ペリシテ人を打ち殺した。こうして、主は大勝利をもたらされた。(12節)


 味方の人間がみんな逃げてしまったとき、そこに一人踏みとどまって戦うのは、文字通り「命知らず」でなければ、できないと思います。危険から逃げるのは、私たちの本能であり、いわばDNAに組み込まれている行動なのです。弱い者に対しては強いのに、強い者に対してはすぐに尻尾を巻く「卑怯者」がふつうなのです。このような時に、踏みとどまって戦うのは、たんに、「無鉄砲な命知らず」や恩賞目当ての「功名心」だけでは無理でしょう。シャマには、主人ダビデに劣らないような「神信仰」があったのではないでしょうか。
 

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 神様は霊ですから、目には見えません。目には見えない神様が私たち人間を助けてくださると言っても、信じない方が大勢います。助けを実感することは、おおむね目に見える形に現れるからです。
 たとえば、借金で危機に陥っている場合、借金が補てんされるのが、最良の解決です。自己破産とか、夜逃げとか、自殺とかを、最初から想定する人はいません。(計画倒産や詐欺は別です。)
 同様に、病気も、完全な快癒こそ、望まれることです。元通りのからだになるのが一番なのです。手術跡が残ったり、病気の臓器が切り取られたりして多少体が損なわれても、元気になれば、まず「助かった」でしょうか。
 
 このような助けは、お金を融通してくれる人、銀行融資。また、お医者様の技術や薬によって、実現するのです。直接的には、人が助けてくれるのです。
 でも、人との出会い、自分の援助者と出会うのも、神のみわざであると、聖書は語っていると思います。

 伝説的な勇士たちが、ダビデのもとに集まって来たのです。神様が彼らをダビデに備えられたのです。ダビデの信仰に神様がお応えになった結果です。

 詩編の「都上りの歌」から、ひとつを出しておきましょう。

    私は山に向かって目を上げる。
    私の助けは、どこから来るのだろうか。
    私の助けは、天地を造られた主から来る。(詩編121篇1節〜2節)









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2012年10月02日

Coffee Breakヨシュア記・士師記・ルツ記・サムエル記401 勇士の条件(第Uサムエル記23章13節〜17節)



 三十人のうちのこの三人は、刈り入れの頃、アドラムのほら穴にいるダビデのところに下って来た。ペリシテ人の一隊は、レファイムの谷に陣を敷いていた。(第Uサムエル記23章13節)
 そのとき、ダビデは要害におり、ペリシテ人の先陣はそのとき、ベツレヘムにあった。(14節)


 聖書には、三勇士とダビデとの邂逅(かいこう)も書かれています。
 サウルがダビデの命をねらっているとわかった直後、ダビデは、ペリシテ人の王アキシュのもとへ避難します。ところが、アキシュの家来たちに見破られて、狂人のふりをし、そこから逃れて、アドラムのほら穴に身を避けるのです。このダビデの隠れ家に、彼の名をしたって、人が集まり始めるのです。(Tサムエル記22章1節2節)
 なんといっても、ダビデは、敵ペリシテ軍の勇士ゴリアテを倒し、イスラエルの窮地をしのいだイスラエルの英雄です。かつて、「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った。」と、イスラエルの女たちが歌い、はやし、それがサウルの妬みをかったのです。(Tサムエル記18章6節〜9節)

 この聖書箇所には、地理的理解も必要かと思われます。アドラムは、地図で見ると、ユダの領土の中、ベツレヘムから、西南二十キロほどの位置にあります。また、アキシュのガテは、その延長線上西南二十キロほど先にあります。レファイムの谷は、ベツレヘムとアドラムの間にあったのでしょう。このあたりは山岳地で、しかも、三千年昔の森や荒野ですから、現代では、ごく近いと思われる二十キロの道のりも、往来に難渋するような場所だったのではないでしょうか。

 この時、レファイムに陣取っていたペリシテ人と戦っていたのは、ダビデではなく、サウル王だったにちがいないのですが、その軍の先陣はベツレヘムに達していたのです。
 サウルは、王になってからも、ベニヤミンのギブアを本拠にしていたようです(Tサムエル記15章34節)。
 ギブアは、ベツレヘムから10キロあまりところにあるのですから、ペリシテ人は、イスラエルの王の本拠に迫っていたのです。

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 そのとき、ダビデは要害におり、ペリシテ人の先陣はそのとき、ベツレヘムにあった。(14節)
ダビデはしきりに望んで言った。「だれか、ベツレヘムの門にある井戸の水を飲ませてくれたらなあ。」(15節)
 すると、三人の勇士は、ペリシテ人の陣営を突き抜けて、ベツレヘムの門にある井戸から水を汲み、それを携えてダビデのところに持って来た。ダビデは、それを飲もうとはせず、それを注いで主にささげて、(16節)
 言った。「主よ。私がこれを飲むなど、絶対にできません。いのちをかけて行った人たちの血ではありませんか。」彼は、それを飲もうとしなかった。三勇士は、このようなことをしたのである。(17節)


 ダビデという人は、どこか愛すべき幼さがあるようです。厳しい避難生活の中で、「おいしい水が飲みたい」と、思わず漏らしてしまうのです。今日でも、飲み水にこだわる人はたくさんいます。画一的な水道水と違って、泉や井戸によって、水の味は、はっきり違っていたのでしょう。それは、故郷のなつかしい思い出と結びついて、ときに、望郷の念をきわだたせたに違いありません。
 ダビデの思いを知った三勇士は、また、まっすぐに忠実な人たちです。彼らは、敵陣を突破してベツレヘムに行き、水を汲んで持って来るのです。
 ダビデは、家来たちの一途な行為に感動し、水を神に注いでささげたのです。

 ここは、美談として解説されているところです。私も、もちろん、「美しい話」だと思います。同時に、勇士の資格とは、たんに、強いだけではないと語られている個所だと思います。自分の「強さ」を、何のために用いるのかが重要なのではないでしょうか。





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2012年10月03日

Coffee Breakヨシュア記・士師記・ルツ記・サムエル記402 勇士たち2(第Uサムエル記23章)



 三勇士のつぎには、もう一組の三勇士、それから三十人の勇士の名前が挙げられています。
 もう一組の三勇士の筆頭に挙げられているのは、アビシャイです。次に、エホヤダの子ベナヤです。その後、アビシャイの兄弟アサエルを含む三十一人の名前が出ています。アサエルを、アビシャイと同じ三勇士に組み入れると、三十人になるのですが、いずれにしても、39節のヘテ人ウリヤの名前が挙がった後に、勇士たちが合計三十七人となっているのは、数字が合いません。全部で三十六人の名前しか上がっていないからです。
 私は、アビシャイの兄ヨアブの名前が落ちているのではないかと思います。ヨアブは、ダビデの側近として、アビシャイとともに多くの働きをした知将ですが、最後はソロモンの殺害命令(ダビデの遺言)で殺された人物です(T列王記2章5節6節、28節〜34節)から、外されたのかもしれません。

 サムエル記の著者は、サムエルとなっていますが、サムエルは、サムエル記を書き始めたのであって、書き継いだのは「サムエルの預言者塾」出身の預言者の子孫が著わしたと思われる(F.E.ヤング)(新実用聖書注解)のです。さらに、それが書かれたのも、王国分裂以降の時代に属している(同注解書)そうですから、ヨアブは、すでに否定的評価の中にあったと、筆者は考えます。
 並行記事の歴代誌(T歴代誌11章41節〜47節)には、ヨルダン川東岸の勇士たちの名前も加えられている(同注解書)とのことで、また、三十七人をはるかにこえる勇士の名が出ています。

 このような齟齬のある部分については、マニアックに調べてみるのも興味深い作業だと思います。そのために、神学者や聖書学者と呼ばれる膨大な数の専門家がいるのですが、私のような一信徒の手に合うことではありませんし、「神の救いのご計画」という聖書の大きなテーマからは、あまり大きな意味があるとは思えません。

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 アビシャイについては、彼を主人公に物語が書けそうなほど、重要な場面に出て来ます。まさに、ダビデがアドラムのほら穴に隠れていた頃から、彼の忠実な側近でした。
 ヨアブ、アビシャイ、アサエルは、ダビデの姉ツォルヤの息子です。ふつう、古代イスラエル人の名を語るとき、父親の名が、今でいえば姓の代わりに出てくるのですが、彼らについては、父の名前は出て来ません。ダビデの甥であることが強調されているためかと思われます。

 ダビデには兄が七人もいて、甥の数は多かったと思われますが、勇士として、また、ダビデの側近としては、一人として、兄たちの息子の名がありません。アムノンをそそのかして、彼の異母妹タマルをレイプさせた、エッサイの三男シムア(シャマ)の子ヨナタブの名が見えるだけです。
 第Uサムエル記には、アマサというダビデの甥の名が挙がっていますが、彼もダビデの姉妹アビガイルの息子です。(第Uサムエル記2章25節)、ただし、アマサの父親の名は、イシュマイル人イテラだと、明記されています。

 私は、このあたりの事情からも、ダビデが少年時代、家庭で差別されていたのではないかと思うのです。姉ツォルヤはそんな中でダビデの味方であった、または、姉たちとダビデは同じ母親であったと考えるのです。
ダビデのアヤのある複雑な性格を考えるうえで、聖書の細かい記述も、興味をそそるのです。






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2012年10月04日

Coffee Breakヨシュア記・士師記・ルツ記・サムエル記403 ダビデの人口調査(第Uサムエル記24章1節〜4節、T歴代誌21章1節、マタイの福音書12章29節)



 第Uサムエル記24章では、ダビデが人口調査を思い立ち、ヨアブに調査を命じるところから始まります。ここも、現代の私たちの常識を持って読むと、まるで面食らうところではないでしょうか。

 政権が安定した時、為政者が自分の民を数えたくなるのは自然で、むしろ、効率の良い政治のために民の人口を把握するのが道理にかなっているのではないか。そう思ってしまうのです。日本の律令制度が始まったときでも、戸籍制度が作られました。律令制度は当時の隋や唐(中国)から輸入した制度ですから、中国ですでに行われていたのでしょう。
 律令制度は、完全な律(刑法)令(行政法)による統治です。頂点にある権威は皇帝(天皇)です。土地をすべて皇帝のものとして、民にそれぞれに田を分け与えることで成り立っていました。日本史の「班田収授法」という言葉は、私も中学校で習いました。田を与えるためには人口を調査しなければなりなせん。また、国家には兵士と税が必要です。これらの基礎になるのが戸籍です。つまり、人口を数えて登録する必要があるのです。

 ちなみに、イエス様がお生まれになったとき、なぜ、宿屋はどこもいっぱいで、厩(家畜小屋)に泊めてもらわなければならなかったかも、すでにご存じのとおりです。当時、ユダヤの宗主国であったローマが人口調査を行ったからです。ユダヤの民はみな、自分の故郷、いまでいえば本籍地に帰って登録をしなければなりませんでした。(新約聖書・ルカの福音書2章1節〜7節)

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 さて、再び主の怒りが、イスラエルに向かって燃え上がった。主は「さあ、イスラエルとユダの人口を数えよ」と言って、ダビデを動かして彼らに向かわせた。(第Uサムエル記24章1節)
 王は側近の軍隊の長ヨアブに言った。「さあ、ダンからベエル・シェバに至るまでのイスラエルの全部族の間を行き巡り、その民を登録し、私に民の数を知らせなさい。」(2節)
 すると、ヨアブは王に言った。「あなたの神、主が、この民を今より百倍も増してくださいますように。王様が親しくこれをご覧になりますように。ところで、王さまは、なぜ、このようなことを望まれるのですか。」(3節)
 しかし王は、ヨアブと将校たちを説き伏せたので、ヨアブと将校たちは、王の前から去って、イスラエルの民を登録しに出かけた。(4節)


 一見わかりにくい聖書箇所ですが、ダビデが人口調査を切望していて、それをヨアブに命じ、ヨアブをはじめとする側近たちは、疑問を呈していると場面です。1節の、「神の怒りが燃え上がり・・・人口を数えよ」では、人口調査が神の命令であるかのようにも読み取れますが、どうやら、ダビデが「人口調査」を思い立っていたことが先にあって、それに対し、神の怒りが燃え上がったのです。並行記事のT歴代誌21章1節には、次のように書いてあります。

 ここに、サタンがイスラエルに逆らって立ち、ダビデを誘い込んで、イスラエルの人口を数えさせた。

 神に愛され、信仰が深いからといって、サタンが誘惑しないとはかぎりません。むしろ、神に重く用いられている人を誘惑するのが、サタンにとっては都合が良いのです。
 イエス様のたとえ話に、押し入った強盗が、まずその家の一番強い者を縛り上げる(新約聖書・マタイの福音書12章29節)と、出ていますが、一番の働き手を無力にすることこそ、攻撃の常道です。

 ダビデはサタンの攻撃の標的になったのです。
 このことについては、明日、もう少し詳しく見てみたいと思います。



 聖書は、基本的に新改訳聖書を使っています。

 律令制度については、下記のサイトをご覧ください。
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8B%E4%BB%A4%E5%88%B6






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2012年10月05日

Coffee Breakヨシュア記・士師記・ルツ記・サムエル記405 ダビデの人口調査2(第Uサムエル記24章)


 
 なんだか「上から目線」で物を言うようで申し訳ないのですが、私たち人間は、じつにどうしようもない罪の性質をもっています。すぐにうぬぼ(自惚)れるのです。いやいや、自分は謙遜であると思っていたことがあります。「自分はダメだなあ」と自己嫌悪に陥ったこともあります。自分一人で自分の家にいる分には、自分はそこの女主人ですが、そうもいかないのです。仕事もしなければならないし、人と付き合いたくなります。買い物もしなければなりません。何かを食べなければ生きていけません。そうして、やがて、いつか死んでしまいます。それで、若い頃は、「何のために生きるのだろう」と悩むのです。

 せっかく生まれてきたのだから、何か良いことをしようと発奮します。世のため人のために生きるのだ!
 自分の命のあかしを残すような仕事をしたいと野心をもちます。生きがい、自分探し、自己実現こそ人生だと思います。

 私たちはすぐに自惚れるのです。私がそうだと言うべきでしょう。もちろん、今はそんなことはないと思っていますが、果たしてどうでしょう。年齢を重ねて(なんといやらしい表現でしょう!)だんだん自分の生命力が目減りしているのは、動かせない事実です。でも、若い頃は、このまるで水際立ったところのない女の子であった自分さえ、ものすごい自惚れ屋だったのです。

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 ダビデは、客観的に見ても、水際立った少年でした。
 エッサイの家の八男坊で、家族は彼を軽く見ていたかもしれませんが、羊飼いとして優秀でした。羊を盗まれたときには、相手が熊でも獅子でも追いかけて行って打ち殺し、その口から羊を奪い返したのです。彼の石投げ器を使う能力は抜群で、もしオリンピックがあったら、金メダル間違いなしです。その能力をオリンピック並みの大舞台で発揮したのです。敵の勇士ゴリアテを小石一個で倒し、敗色濃いイスラエル軍を勝利に導いたのです。オリンピックも国威発揚と仮想戦争のように言われることがありますが、この時は、イスラエルとペリシテの本物の戦争で、イスラエルの死活がかかっていました。

 ダビデはまた、音楽家でした。その琴の音が、遠くベニヤミンのサウル王の側近にまで聞こえるほどの名手でした。詩人で作曲家でした。今で言えば、演奏力も抜群の、クールなシンガーソングライターです。さらに、姿かたちも美しかったのです。(Tサムエル記16章12節)

 決定的なのは、イスラエルの神、全知全能の主から、王として選んでいただいたことです。
 もっとも、じっさいに、王としてイスラエルを支配できるようになるまでには、さんざんな苦労があって、すっかり作り変えられるほど砕かれたのです。神信仰は、預言者として神のことばを直接聞くことができるほどでした。(もちろん、お抱え預言者もいましたが)

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 そのダビデが、ふと、神を忘れたのでしょうか。イスラエルの人口調査を思い立つのです。イスラエルは神がお建てになった国で、イスラエルのすべての民は神のもの、カナンの各部族の相続地も神が割り当てられたものです。
 イスラエルはモーセの下で、過去二度人口調査を行っています(民数記1章2章、26章)が、いずれも神のご命令によるものでした。もちろん、実際的な目的もありました。神の国を守るための軍を編成することと、神政政治を維持する祭祀制度国家のための納税です。

 第Uサムエル記24章では、ダビデが人口調査をしたくなった理由が書かれていません。もっと税金を集める必要に迫られたのでしょうか。兵を増やして国家を強くしたいと思ったのでしょうか。
 そうだとしても、ダビデは、それを自分で決めてはならなかったのです。イスラエルの主は神ご自身だからです。
 「王なら何でもできる」、つまり、「王の権力の重さを、手の平にのせてを楽しめ」と、サタンのそそのかしに屈した瞬間、彼は罪を犯したのです。





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