2012年10月03日

Coffee Breakヨシュア記・士師記・ルツ記・サムエル記402 勇士たち2(第Uサムエル記23章)



 三勇士のつぎには、もう一組の三勇士、それから三十人の勇士の名前が挙げられています。
 もう一組の三勇士の筆頭に挙げられているのは、アビシャイです。次に、エホヤダの子ベナヤです。その後、アビシャイの兄弟アサエルを含む三十一人の名前が出ています。アサエルを、アビシャイと同じ三勇士に組み入れると、三十人になるのですが、いずれにしても、39節のヘテ人ウリヤの名前が挙がった後に、勇士たちが合計三十七人となっているのは、数字が合いません。全部で三十六人の名前しか上がっていないからです。
 私は、アビシャイの兄ヨアブの名前が落ちているのではないかと思います。ヨアブは、ダビデの側近として、アビシャイとともに多くの働きをした知将ですが、最後はソロモンの殺害命令(ダビデの遺言)で殺された人物です(T列王記2章5節6節、28節〜34節)から、外されたのかもしれません。

 サムエル記の著者は、サムエルとなっていますが、サムエルは、サムエル記を書き始めたのであって、書き継いだのは「サムエルの預言者塾」出身の預言者の子孫が著わしたと思われる(F.E.ヤング)(新実用聖書注解)のです。さらに、それが書かれたのも、王国分裂以降の時代に属している(同注解書)そうですから、ヨアブは、すでに否定的評価の中にあったと、筆者は考えます。
 並行記事の歴代誌(T歴代誌11章41節〜47節)には、ヨルダン川東岸の勇士たちの名前も加えられている(同注解書)とのことで、また、三十七人をはるかにこえる勇士の名が出ています。

 このような齟齬のある部分については、マニアックに調べてみるのも興味深い作業だと思います。そのために、神学者や聖書学者と呼ばれる膨大な数の専門家がいるのですが、私のような一信徒の手に合うことではありませんし、「神の救いのご計画」という聖書の大きなテーマからは、あまり大きな意味があるとは思えません。

★★★★★

 アビシャイについては、彼を主人公に物語が書けそうなほど、重要な場面に出て来ます。まさに、ダビデがアドラムのほら穴に隠れていた頃から、彼の忠実な側近でした。
 ヨアブ、アビシャイ、アサエルは、ダビデの姉ツォルヤの息子です。ふつう、古代イスラエル人の名を語るとき、父親の名が、今でいえば姓の代わりに出てくるのですが、彼らについては、父の名前は出て来ません。ダビデの甥であることが強調されているためかと思われます。

 ダビデには兄が七人もいて、甥の数は多かったと思われますが、勇士として、また、ダビデの側近としては、一人として、兄たちの息子の名がありません。アムノンをそそのかして、彼の異母妹タマルをレイプさせた、エッサイの三男シムア(シャマ)の子ヨナタブの名が見えるだけです。
 第Uサムエル記には、アマサというダビデの甥の名が挙がっていますが、彼もダビデの姉妹アビガイルの息子です。(第Uサムエル記2章25節)、ただし、アマサの父親の名は、イシュマイル人イテラだと、明記されています。

 私は、このあたりの事情からも、ダビデが少年時代、家庭で差別されていたのではないかと思うのです。姉ツォルヤはそんな中でダビデの味方であった、または、姉たちとダビデは同じ母親であったと考えるのです。
ダビデのアヤのある複雑な性格を考えるうえで、聖書の細かい記述も、興味をそそるのです。






posted by さとうまさこ at 09:32| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする