2012年10月15日

Coffee Break歴史の書414・T列王記(1) 始まり(T列王記1章1節〜4節)



 サムエル記は、サムエルから、サウル、ダビデへと時代を作った人物に焦点が当てられ、まるで連作のドラマのようなつながりのうちに流れを理解することができます。サムエル、ダビデという古代イスラエル史の中の特筆すべき人物、歴史のエポックメーカーを焦点に、神の国の歴史の中で、格闘する生々しい人間模様が展開する意味は大きいと思います。さまざまな矛盾や欠点をかかえたダビデが、それでも、神に愛され、油注がれ、艱難の末に王国を建てることに、暁光を見るような安堵を覚えないでしょうか。

 多少とも、聖書を読んだ人なら、Tサムエル記・第Uサムエル記のあとの、列王記がダビデのあとを継ぐソロモンの物語につながって行くことを知っています。
 ソロモンは、その知恵で当時の世界に知られていただけでなく、神殿を建て、イスラエル王国に輝く隆盛を打ちたてたのです。
 人の世にだけ焦点を当てた、いわゆる歴史書なら、ここにはまた、耳目をそばだたせるトピックスが目白押しであるはずです。

 しかし、少し読み始めると、聖書が、神の人類救済史であり、主役が神であることを私たちは、思い出させられるのです。それは、当然なのですが・・・。

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 ダビデ王は年を重ねて老人になっていた。それで夜着をいくら着せても暖まらなかった。(T列王記1章1節)
 そこで、彼の家来たちは彼に言った。「王さまのためにひとりの若い処女を捜してきて、王さまにはべらせ、王さまの世話をさせ、あなたのふところに寝させ、王さまを暖めるようにいたしましょう。」(2節)
 こうして彼らはイスラエルの国中に美しい娘を捜し求め、シュネム人の女アビシャグを見つけて、王のもとに連れてきた。(3節)
 この娘は非常に美しかった。彼女は王の世話をするようになり、彼に仕えたが、王は彼女を知ろうとはしなかった。(4節)


 ダビデの波乱の人生にも終幕がやってきました。肉のからだは、いつか滅びるのだから仕方がありません。あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない(創世記3章19節)のです。
 しぜんに老い、長らえた場合、肉体は生きながら機能を低下させ、活気を失い、ここに書かれたダビデのように、着物を重ねてさえ体温が冷えて眠れなくなる日が来るのです。現代は暖房も冷房もあり、栄養もさまざまな形で補給でき、良い薬もありますから、ダビデより、快適な老後を迎えることができるかもしれませんが、本質的な体の機能は衰えていくのです。
 さいわいと言うべきか、ダビデは古代の王さまでした。そこで、家来たちは、若くて美しい処女の女性を近づければ、王の回春にいくらかでも効果があるかと思ったのでしょう。
 「知ろうとしなかった」は、性的関係を結ぼうとしなかったということです。かつては、イスラエル中の女性たちの人気の的、情熱的で恋多い男であったはずのダビデも、もはや別人になっていました。

 シュネムは、イッサカルの領地の中にある町です。(ヨシュア記19章18節)アビシャグは、イッサカル人だったのでしょう。
 せっかく王宮に召されて、王にはべるのですが、アビシャグは処女のままでした。彼女が、その後、故郷に帰ることができたのか、あるいは王のそばめのように扱われたのかは、想像の中の出来事ですが、たとえ、彼女が王の子どもを産んでいたとしてもあまり大きな影響はなかったでしょう。ダビデには、名が残っている妻たちの王子以外にも、王子が大勢いたと記されています。(第Uサムエル記13章23節〜36節)(T列王記1章9節)

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 列王記も、T列王記とU列王記に分かれています。しかし、もともとは一冊の書物で、さらに、Tサムエル記第Uサムエル記ともつながって、一冊の書物でした。(新実用聖書注解)これら四冊で扱う年代は、サムエルの誕生前から(前九七〇年)から始まり約四〇〇年間に及んでいる(同注解書)そうです。
 

 サムエル記とは対照的に、多くの王が現れ、国が分裂し、複雑な歴史が展開されるこの書は、また、これまでの書物と異なった醍醐味を味わえると思います。





posted by さとうまさこ at 09:44| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする