2014年01月08日

Coffee Break預言書・イザヤ書8、万軍の主、イスラエルの全能者、主の御つげ



  どうして、遊女になったのか。忠信の都が。
  公正があふれ、正義がそこに宿っていたのに。
  今は人殺しばかりだ。(21節)


 さらに一つの文章の中でも、反対のことばが対になって出て来ます。
 遊女は、文字通り売春婦という意味ではなく、神に対する貞節を忘れたユダを譬えているのです。忠信は、ですから貞節でしょうか。他の神々を拝み、律法が忘れ去られ、現実的な利得と繁栄のために人々が節操を忘れている状態を、神は、今は人殺しばかりだと、弾劾しておられます。

 それでも、いえ、それゆえに、――万軍の主、イスラエルの全能者,主の御つげ――と、判決を述べられるのです。
 
  「ああ、
  わたしの仇に思いを晴らし、
  わたしの敵に復讐しよう。
  しかし、おまえの上に再びわが手を伸ばし、
  おまえのかなかすを灰汁のようにとかし、
  その浮きかすを皆除こう。(25節)
  こうして、
  おまえのさばきつかさたちを初めのように、
  おまえの議官たちを昔のようにしよう。
  そうして後、
  おまえは正義の町、忠信の都と呼ばれよう。(26節)


 悪いのはユダであるはずです。罰を受けるのはユダであるはずです。ところが、神は、ユダをむち打てとはおっしゃらないのです。ユダの仇に、敵に復讐して下さると言うのです。その行為とは、ユダのため込んだかなかす(金属を精錬した後にできるカス)をきれいにし、その汚れを取り除いてくださるというのです。
 おまえのさばきつかさたちを初めのように、おまえの議官たちを昔のようにしよう。とは、ユダが元のような健康体になるとの意味でしょう。

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  シオンは公正によって贖われ、
  その町の悔い改める者は
  正義によって贖われる。 (イザヤ書1章27節)


 この「公正」や「正義」に注目です。何気なく読むと、ユダの民が公正を行ない、正義を取り戻すなら、「贖われる」と解釈しそうです。けれども、きちんと文脈を読むと、敵に復讐し、かなかすを取り除き、ユダを健康な体に戻して下さるのは、主ご自身なのです。

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 私は、イスラエルの全能者、万軍の主が、さばきと刑罰を行なわれようとしておられるのではないことに、ここで気がつくのです。
 主は、むしろ、治療をしようとしておられる――。まるで、名医のように。主の手にかかったらどんな病人も健康体に戻ることができる、比喩のあらわしている事実は、癒しと回復の神さまの愛に満ちたまなざしを、ここに見ることができると思うのです。

 イザヤ書は、「全巻、これ救い主預言」だと言われますが、たしかに、冒頭から罪が贖われる、贖ってくださる方は神ご自身であると言明されているのです。つまり、イエスさまご自身です。

 しかし、どんなに病んでいても、また、名医が目の前にいても、その前に出て行って、お医者様に身をゆだね、悔い改めてお医者様の言うとおり聞き、治療を受けない者は、今のこの時代、イエス様の十字架が明らかになり、救いが完成しているこの時代でも、滅びが待っています。

 イザヤの「預言」は容赦なく宣告します。

  叛く者は罪びととともに破滅し、
  主を捨てる者は、うせ果てる。(28節)
  まことに彼らは、
  あなたがたの慕った樫の木の下で恥を見、
  あなたがたは、
  みずから選んだ園によって
   はずかしめを受けよう。(29節)
   
   つわものは麻くずに、
   そのわざは火花になり、
   その二つとも燃え立って、これを消す者がいない。(31節)


  容赦のない宣告ですが、とても分かりやすいですね。





posted by さとうまさこ at 09:20| Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする