2014年01月11日

Coffee Break預言書・イザヤ書11、主は、ささえとたよりを除かれる、(イザヤ書3章1節〜11節)



  まことに、見よ、万軍の主、主は、エルサレムとユダから、ささえとたよりを除かれる。――すべて頼みの  パン、すべて頼みの水、(イザヤ書3章1節)

 イザヤの預言(主のことば)は、行きつ戻りつしているように見えます。厳しい警告と
さばきの予言に対置するように救いが語られます。
 シオンは公正によって贖われ、その町の悔い改める者は正義によって贖われる(1章2
7節)
――「贖われる」と、約束して下さっているのです。
「来たれ。ヤコブの家よ。私たちも主の光に歩もう。」(2章5節)と、熱い招きをして
下さっているのです。
 ところが、しだいにさばきの口調が厳しくなります。エルサレムとユダの民に対する容赦のない情勢の分析、これは、多くは比喩のように語られていますが、今読む私たちにさえ、深い吐息をつかせ、悲しみを味わわせます。

 こうした預言を聞く当時のイスラエルの王やさばきつかさや民は、どうだったのでしょうか。
 主は、主の支えを、エルサレムとユダから取り除くと仰せなのです。イスラエルは、主によっ立てられ、主の守りと導き、恵みと祝福でまがりなりにも豊かさを享受できる王国となっていたのです。

  勇士と戦士、さばきつかさと預言者、占い師と、長老、(2節)
  五十人隊の長と高官、議官と賢い細工人、巧みにまじないをかける者。(3節)


  このような者たちが取り除かれるのです。結果、未熟な者たちが民を治めるようになります。

  わたしは、若い者たちを彼らのつかさとし、気まぐれ者に彼らを治めさせる。(4節)
  民はおのおの、仲間同士で相しいたげ、若い者は年寄りに向かって高ぶり、身分の低い者は高貴な者に向  かって高ぶる。(5節)


 平和や秩序が失われていきます。親しい仲間でも虐げあう、若い者や身分の低い者が、年寄りや高貴な者に高ぶるのは、乱れた世の中です。日本では、「下剋上」などという時代もありました。リーダーになる力量がない者ばかりの時代、民はどのようにリーダーを選ぶのでしょう。

  そのとき、人が父の家で、自分の兄弟をとらえて言う。「あなたは着る物を持っている。私たちの首領に  なってくれ。この乱れた世を、あなたの手で治めてくれ。」(6節)
  その日、彼は声を張りあげて言う。「私は医者にはなれない。私の家にはパンもなく、着る物もない。私  を民の首領にはしてくれるな。」(7節)


 ただ、着る物があるというだけの者に、世の乱れを治めてくれと頼まなければならないのです。頼まれた者もそれを引き受ける恐ろしさを知っています。

 
★★★★★

 主は、ユダの最大にして、唯一の支援者であられるのです。
 卑俗なたとえに置き換えると、聞き分けのない子どもが親から見放されるようなものです。親の支えと保護で豊かに楽しく暮らしているのに、親の命令とさとしを聞かず、訓練を嫌がり、親に反抗してわがまま放大にふるまう時、親はとうとう言わなければなりません。
 「もう、親でも子でもない。好きにしなさい」
 親の保護が亡くなって、初めて子どもは右往左往するでしょう。

 もっとも、主は完全にご自分の民を突き放すことはおできになりません。どうしても、振り返って子どもの様子を見ないではいられない親のように、言います。
 何が正しいことなのか、教えるのです。

  これはエルサレムがつまずき、ユダが倒れたからであり、彼らの舌と行ないとが主にそむき、主のご威光に逆らったからである。(8節)
  彼らの顔つきが、そのことを表わしている。彼らは罪を、ソドムのように現わして、隠そうともしなかっ  た。ああ、彼らにわざわいあれ。彼らは悪の報いを受けるからだ。(9節)
  義人は幸いだと言え。彼らは、その行ないの実を食べる。(10節)
  悪者にはわざわいあれ。わざわいが彼にふりかかり、その手の報いがふりかかる。(11節)








posted by さとうまさこ at 10:54| Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする