2014年01月13日

Coffee Break預言書・イザヤ書13、退廃のなかでの荒廃(イザヤ書3章16節〜26節)



  主は仰せられた。(イザヤ書3章16節)
  「シオンの娘たちは高ぶり、
  首を伸ばし、色目を使って歩き、
  足に鈴を鳴らしながら小またで歩いている。」
  それゆえ、
  主はシオンの娘たちの頭の頂を
  かさぶただらけにし、
  主はその額をむき出しにされる。(17節)


 繁栄による退廃は、女たちの姿にも現れます。いや、むしろ、なによりも、女たちの様子に現れると言った方がよいかもしれません。
 生活の厳しい時代には、貧しさやひもじさや差別の影響を受けやすい弱い立場の女たちが、豊かになると身を飾り、媚びを売った態度をして往来を歩くのです。父親や夫が、彼女たちのために衣装や化粧品やアクセサリーを買ってやることができるような余裕が生まれるためだけではありません。
 性的欲望にお金を使う男たちも多くなる。性的に魅力的な女になって、良い男を獲得し、みずからも享楽の生活を楽しみたいと女たちが思うのも、自然でしょうか。

 今日でも、若い娘が援助交際などと言って、お金のために売春することがあるのです。どこかの国では、経済発展にともなって、富豪のめかけになった若い女が、豪華マンションを与えられ、宝石で身を飾り、贅沢に暮らしているなどという情報が流れて来ます。
 真実のほどはとにかく、私たちの目に留まる日常――爛熟した豊かな社会で、女たちが、「もっと華やかに、もっとセクシーに、もっとアクティブに、楽しく」装っているのを見ることができます。

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  その日、主はもろもろの飾り――足飾り、髪の輪飾り、三日月形の飾り物、(18節)
  耳輪、腕輪、ベール、(19節)
  頭飾り、くるぶしの鎖、飾り帯、香の入れ物、お守り札、(20節)
  指輪、鼻輪、(21節)
  礼服、羽織、外套、財布、(22節)
  手鏡、亜麻布の着物、ターバン、かぶり物を除かれる。(23節)


 アクセサリーの種類は、古代イスラエルの人たちに決して遅れは取っていません。むしろ、増え続け、女の付属品は、各名前を覚えることさえできないほど、次から次へと考案されています。たとえば、マニュキアにトッピングをつけるのは当たり前です。目元だけでも何種類ものシャドーを入れ、つけまつげをつけ、耳には、たくさんの穴をあけてピアスを入れ、鼻やくちびるやお腹にピアスを入れている人も、別に驚くことではありません。刺青は、フェイクかホンモノかの違いはとにかく、これも珍しくなくなりました。財布や手鏡(化粧品)も、豪華になり華美になり、そうしたことは、べつに、悪いことでもないと、私も思っているのです。

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 じっさい、おしゃれは悪いことではない、のです。けれども、その限度を、その渦中にある私たち人間は知ることができないのでしょう。
 楽しいのは善いこと、豊かさは幸せ、美しいのは真理である、などと、どのような言葉も添付され、付加価値が上がり、欲望が欲望を生むなかで、どれほど奢侈を味わったら限界が来るのか、だれも知ることができません。
 しかし、やがては、主が「論争するために立ち上がり、民をさばくために立つ」(3章19節)と仰せなのです。

  こうして、良いかおりは腐ったにおいとなり、(24節)
  帯は荒なわ、結い上げた髪ははげ頭、
  晴れ着は荒布の腰巻きとなる。
  その美しさは焼け傷となる。(24節)
  あなたの男たちは剣に倒れ、(25節)
  あなたの勇士たちは戦いに倒れ、
  その門はみな、悲しみ嘆き、(26節)
  シオンはさびれ果てて地に座す。


 私たちは、日本だけの経験としても、わずか六十年前に、焦土となった国土を見たはずです。女たちが髪をふり乱し、すすけた顔は涙も涸れて、子どもをかかえて焼け跡に食べ物を求めてさまよった時代は、さほど昔ではなかったのです。
 当時、多くの女たちは、晴れ着を売り、また、ほどいて「もんぺ」や防空頭巾にしたのです。息子や夫や若者が戦場に倒れた遺骨をかかえ、爆撃の廃墟で、疲れ果てて座り込んで、玉音放送(敗戦)を聞いたのは、幻覚ではなく、歴史的事実だったのです。
 
 それは初めてのことではなく、すでに、人類が経験していたことなのです。イザヤがシオン(エルサレム)の崩壊を警告したのは、紀元前七百年頃のことです。それから、百年ほどで、エルサレムは預言通り崩壊し、民はバビロンに捕囚となって連れ去られたのです。女たちがどれほどみじめな様子だったかは、想像に難くありません。






posted by さとうまさこ at 08:41| Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする