2014年01月14日

Coffee Break預言書・イザヤ書14、その日、主の若枝は(イザヤ書4章1節〜6節)




  その日、七人の女が
  ひとりの男にすがりついて言う。
  「私たちは自分たちのパンを食べ、
  自分たちの着物を着ます。
  私たちをあなたの名で呼ばれるようにし、
  私たちへのそしりを除いてください。」(イザヤ書4章1節)


 戦争で男たちの数が少なくなると、とうぜん結婚をする相手も不足し、やもめ(未亡人)が増える。男の名で家族が数えられる時代(世界のほとんどの国では、父系社会でした)には、女は結婚しているか、父親や兄に属していて、初めて面目が保たれ、生活も保障されたのです。夫になる男が少なく、父や兄も失った女たちは、生き残っている男に群がり、「その妻(家族)としてください」と頼むのです。「養うのが大変なら、自分で稼ぎ、食い扶持くらいはなんとかしますから。」と涙ぐましい譲歩をします。夫や父親といった後ろ盾を失うことは、人々から軽んじられ、そしられることだったからです。

 これも、じつはこの時代のイスラエルに限ったことではありません。日本でも、わずか六十年ほど前まで、未亡人は「後家(ごけ)」と呼ばれ、結婚できない娘は、「行かず後家」と軽蔑され、離婚した女は、「出戻り」などと、差別語で呼ばれて軽んじられたのです。一度結婚した女が、結婚が思わしくなくて辛くても、婚家の人にいじめられても、夫がひどい男でも、我慢したのは、「家」――男の名前を離れては、人間として尊重されなかったからです。

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  その日、主の若枝は、麗しく、栄光に輝き、
  地の実は、イスラエルののがれた者の
  威光と飾りになる。(2節)


 その日、つまり、どん底の恥辱を経験したその日、さばきの日です。主の若枝が、現れて、イスラエルを救って下さるというのです。「主の若枝」は、エレミヤ書23章5節他にも現れており、ここもメシヤ預言だと言われています。

  シオンに残された者、エルサレムに残った者は、聖と呼ばれるようになる。みなエルサレムでいのちの書にしるされた者である。(3節)

 さばかれてのちに残った者は、「聖と呼ばれ、いのちの書にしるされた者」になるのです。3章にしるされた「退廃を生きた女」のようでなかった少数の者、あるいは、主のさばきの前で、心から悔い改めて赦された者もいるのでしょう。

  主が、さばきの霊と焼き尽くす霊によって、シオンの娘たちの汚れを洗い、エルサレムの血をその中からすすぎ清めるとき、(4節)

 ここは、シオンの娘と書かれていますが、もはや。女性を指しているのでないのは明らかです。もともと、イスラエルはヤーウエの神の花嫁にたとえられ、偶像崇拝は姦淫にたとえられているのです。

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  主は、シオンの山のすべての場所とその会合の上に、昼は雲、夜は煙と燃える火の輝きを創造される。それはすべての栄光の上に、おおいとなり、仮庵となり、(5節)
  昼は暑さを避ける陰となり、あらしと雨を防ぐ避け所と隠れ家になるからだ。(6節)


 さばきをくぐって聖められたイスラエルに対して、主は、もとどおりのいつくしみと保護を与えてくださいます。「昼は雲、夜は燃える火の輝き」は、出エジプト記で、主の守りと導き、イスラエルの民に対する燃えるような熱い愛として描かれています。(出エジプト記13章21節22節)





 
posted by さとうまさこ at 09:06| Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする