2014年01月17日

Coffee Break預言書・イザヤ書17、それでも、御怒りは去らず(イザヤ書5章15節〜25節)



 サタンは、楽園でエバをそそのかして、「善悪の知識の実」を食べさせました。そのとき、神のアダムとエバへの警告を逆手に取って、「あなたがたは決して死にません」と言ったのです。しかし、神の命令への違反によって、二人は楽園を追放されてしまいます。そうして、全人類に「死」が入ってしまったのです。肉体は死ぬものとなったのですが、愛なる神は、人を死の穴に放置しないで、かならずもう一度御許に連れ帰ろうと、救いのご計画をお持ちでした。それが、イスラエル民族(アブラハムの孫ヤコブの十二人の子)の召しであり、神聖政治国家というぶどう園の育成でした。

 ところが、神が、慈しんで育てられたたぶどう園に実ったのは、酸っぱいぶどうでした。
 神聖政治国家で、神の戒めはないがしろにされていました。力の強い高慢な者が人を搾取し、虐げ、彼ら自身は、強い酒におぼれ宴会に時間を空費していました。
 サタンは、よみの穴に落ちる人間を見て、手を打って喜んだでしょう。けれども、これで、神(万軍の主)の権威が落ちるわけではありません。
 
  こうして人はかがめられ、人間は低くされ、
  高ぶる者の目も低くされる。(イザヤ書5章15節)
  しかし、万軍の主は、さばきによって高くなり、
  聖なる神は正義によって、
  みずから聖なることを示される。(16節)


 高ぶる人の「滅び」はサタンの策略かもしれませんが、同時に神のさばきが行われることです。結局は、神が主権をお持ちなのです。やがて、神の側にいる子羊と、獣とは、その生きる場を分けられてしますのです。

  子羊は自分の牧場にいるように草を食べ、
  肥えた獣は廃墟にとどまって食をとる。(17章)


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 神の追及は、悪い者たちを容赦しません。さらに、彼らの悪を暴きます。なぜなら、欲や罪に酔いしれた者たちは、神の審判にさえ恐れを抱くことができなくなり、神のさばきのみわざを侮るようになるからだと、注解書(新実用聖書注解・いのちのことば社)に説明がありましたが、そのとおりだと思います。

  ああ。
  うそを綱として咎を引き寄せ、
  車の手綱でするように、
  罪を引き寄せている者たち。(5章18節)


 聖書は、ふつうの人々が円満な社会生活を営む上でつく「善良な嘘」までは禁じていないと、さとうは思います。十戒の九番目の戒めに、「あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない」(出エジプト記20章16節)とあります。これは、裁判における証言のことです。旧約聖書の時代は、今のように客観的な物的証拠を取ることはできず(指紋、血液型、DNAなど)、二人または三人の証言で「有罪となった」のですから、偽りの証言が、大きな罪であるのは当然です。
 けれども、ここでいう嘘は、神に対する嘘だと取れます。神がどのようなお方かよくわかっているはずのイスラエル人が、次のようなことを言うのは嘘つきなどというレベルではありません。まさに、神を冒涜しているのです。
 
  彼らは言う。「彼のすることを早くせよ。
  急がせよ。それを見たいものだ。
  イスラエルの聖なる方のはかりごとが、
  近づけばよい。それを知りたいものだ。」と。(19節)
  ああ。
  悪を善、善を悪と言っている者たち。
  彼らはやみを光、光をやみとし、
  苦みを甘み、甘みを苦みとしている。(20節)
  ああ。おのれを知恵ある者とみなし、
  おのれを、悟りがある者と見せかける者たち。(21節)


 しかし、これは、三千年昔のイスラエルの出来事ではありません。
今日では、神に対する嘘ははるかに蔓延しており、うそをつく者ほど、知恵ある者、悟りがある者と、思っている人々も多いのです。

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  ああ。酒を飲むことでの勇士、
  強い酒を混ぜ合わせることにかけての豪の者。(22節)
  彼らはわいろのために、悪者を正しいと宣言し、
  義人からその義を取り去っている。(23節)


 日本のような先進国では、「わいろ」はなくなったでしょうか。そのように信じたいのですが、富の力が表向きの政治や文化の流れを隠然とあやつっているのは、だれもが「知っている」事実でしょう。
 
  それゆえ、火の舌が刈り株を焼き尽くし、
  炎が枯れ草をなめ尽くすように、
  彼らの根は腐れ、
  その花も、ちりのように舞い上がる。
  彼らが万軍の主のみおしえをないがしろにし、
  イスラエルの聖なる方のみことばを
  侮ったからだ。(24節)


 神のみおしえをないがしろにし、神のみことばを侮る罪がどれほど大きいかが、改めて強調されています。

  このゆえに、主の怒りが、その民に向かって燃え、
  これに御手を伸ばして打った。
  山々は震え、彼らのしかばねは、
  ちまたで、あくたのようになった。
  それでも、御怒りは去らず、
  なおも、御手は伸ばされている。(25節)





posted by さとうまさこ at 09:58| Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする