2014年01月19日

Coffee Break預言書・イザヤ書19、私は、高く上がられた王座に座しておられる主を見た。(イザヤ書6章1節〜5節)



  ウジヤ王が死んだ年に、私は、高くあげられた王座に座しておられる主を見た。そのすそは神殿に満ち、(イザヤ書6章1節)
  セラフィムがその上に立っていた。彼らはそれぞれ六つの翼があり、おのおのその二つで顔をおおい、二つで両足をおおい、二つで飛んでおり、(2節)
  互いに呼びかわして言っていた。
  「聖なる、聖なる、聖なる、万軍の主。その栄光は全地に満つ。」(3節)
  その叫ぶ者の声のために、敷居の基はゆるぎ、宮は煙で満たされた。(4節)
  そこで、私は言った。
  「ああ。私は、もうだめだ。
  私はくちびるの汚れた者で、
  くちびるの汚れた民の間に住んでいる。
  しかも万軍の主である王を、
  この目で見たのだから。」(5節)

 

 イザヤ書6章は、荘厳なまぼろしから始まっています。イザヤは、高くあげられた王座に座しておられる主を見た。のです。それは、ウジヤ王が死んだ年でした。
  ウジヤ王については、U歴代誌26章全部を費やして記録されています。また、U歴代誌に、ウジヤのその他の業績は、最初から最後まで、アモツの子預言者イザヤが書きしるした(同22章)とあります。

 ウジヤは十六歳で王となり、エルサレムで五十二年間、王であった。彼の母の名はエコルヤといい、エルサレムの出であった。(U歴代誌26章3節)
 彼はすべて父アマツヤが行ったとおりに、主の目にかなうことを行なった。(4節)
 

 ウジヤの治世は長く、しかも「主の目にかなうことを行なう」善王でした。イザヤはこのウジヤに一番長く仕えたのです。イザヤ書1章から5章までは、ウジヤ王の時代に行った預言だと考えられています。

 
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 イザヤは、高くあげられた王座に座しておられる主を見た(6章1節)のです。これは大変な出来事です。恐ろしい出来事でもありました。なぜなら、聖書では、神を見た者は死ぬと言われていたからです。
 神と夜通し格闘をしたヤコブが、そのあとに、イスラエルという名前をいただき、祝福を頂いて言うのです。「私は顔を顔を合わせて神を見たのに、私のいのちは救われた」。(創世記32章30節) 
 また、シナイの荒野で、モーセが神に、「どうかあなたの栄光を私に見せてください」と頼んだとき、仰せられるのです。「あなたはわたしの顔を見ることはできない。人はわたしを見て、なお生きていることはできないからである。」(出エジプト記33章20節)

 しかし、イザヤは死にませんでした。それは、イザヤが真実、神に召された者だったからでしょう。
 主は高いところにある玉座に座しておられ、その玉座のすそは神殿につながっていたのです。あるいは、神殿をおおっていたのでしょうか。画家ならこの場面をどのような絵にするのでしょう。
 セラフィムは翼があって飛んでいるので、鳥のようなものでしょう。あかしの箱のふたに置かれたケルビムやエゼキエルの預言に現れる(出エジプト記37章8節9節、エゼキエル書10節)ケルビムと同種のもので、御使いのかたちの一つです。
 その告げ知らせるところは、「聖なる、聖なる、聖なる、万軍の主。その栄光は全地に満つ。」(3節)
 その叫ぶ声のために、敷居の基はゆるぎ、宮は煙で満たされた。(4節)
というのです。
 イザヤの気絶しそうなほどの恐れが伝わってきます。

  「ああ。私は、もうだめだ。
  私はくちびるの汚れた者で、
  くちびるの汚れた民の間に住んでいる。
  しかも万軍の主である王を、
  この目で見たのだから。」(5節)





posted by さとうまさこ at 09:07| Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする