2014年01月23日

Coffee Break預言書・イザヤ書22、「聖なるすえこそ、その切り株」(イザヤ書6章13節)



  「そこにはなお、十分の一が残るが、
  それもまた、焼き払われる。
  テレビンの木や樫の木が
  切り倒されるときのように。
  しかし、その中に切り株がある。
  聖なるすえこそ、その切り株。」(13節)



 神のことばを預かる預言者と、今日の「預言者もどき」の評論家や批評家、アナリスト、コメンテーターなどとの大きな違いは、預言者が神によって召されるものであることです。自分で手を挙げて売り込んでなるものではありません。実際には、列王記の時代には、預言者の学校もあり、偽預言者も多くいたのですから、預言者でさえ売り込もうとする人がいたのでしょう。人間の罪の性質ですね。
 けれども、預言の内容を見れば、神に召されている人かどうかわかるのではないかと、さとうは思います。今日マスコミなどで活躍するコメンテーターは、基本的に「HOW TO」を教え、「HOW TO」に答えるコメントを出します。解決するには、良いほうに向かわせるにはどうすればよいかの道筋や論を示すのです。少子高齢化で国が衰退する、どのように新しい(解決の)道を示すか、に焦点を当てて話をするのです。

 人は、基本的には悪い予想など聞きたくありませんから、厳しそうに見えても、マスコミは「困難の解決策」を提示します。高齢化に備えて福祉をどう充実させていくか、介護の問題や老齢による病気をどうするか。若い労働力の不足をどのように補うか。なにを奨励したら、若い人たちが結婚し、子どもを持つだろうか。
 もし、問題に解決策を示せなかったら、だれがテレビの解説や新聞の論説、討論番組などを見るでしょう。厳しい事実や論理を飛び越えて占い師のところに行く人も、結局は「どうすればよいか」を知りに行くのです。それが、水晶玉を覗くことであっても、カードを並べることであっても、答えは「よい解決」でなければなりません。もし、占い師が正直に、「あなたはその人と結婚しても、苦労します。しなくても苦労があります。十年以内にあなたの両親は病気になり亡くなります」などと言ったら、その占い師はとても営業し続けることはできないでしょう。


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 イスラエル王国最初の王サウルは、ペリシテ人に攻められて恐れ、困り果てたとき、イスラエルの神の禁を犯して、霊媒師の女に伺いを立てました。彼の師であり、サウルを王として立ててくれたサムエルはすでに死んでいました。サウルは、死んだサムエルを呼び出してもらって、解決策を聞こうとしたのです。
 霊媒師はたしかにサムエルを呼び出したのですが、彼女の口を通じて語るサムエルの答えは厳しいものでした。「なぜ、私に尋ねるのか。主はあなたから去り、あなたの敵になられたのに。」(Tサムエル記28章16節) 
 私は霊媒師なるものを信じてはいませんが、まだしも、彼女には真実あったと思うのです。相手が王であるのに、苦い予想をはっきりと言ったからです。

 
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 ですが、本物の預言者であるイザヤの口から語られることばは、はるかに厳しいのです。今、ユダの人々がイザヤのことばを聞いて、悔い改め、悟れば、災難は回避されるというのではないのです。「悟らせるな。知らせるな」と仰せなのです。

 「いつまでですか」と尋ねるイザヤに対しては、「町々は荒れ果てて、住む者がなく、家々も人がいなくなり、土地も滅んで荒れ果て――。そこには十分の1が残るが、それもまた焼き払われる。」

 つまり、手の施しようがない状態を告げておられるのです。

 ただ、それでも、希望があるのです。
それが、「――、その中に切り株がある。聖なるすえこそ、その切り株。」(13節)です。

 ここも、メシヤ預言ですね。






posted by さとうまさこ at 07:56| Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする