2014年09月03日

Coffee Break預言書・イザヤ書208 あなたがたの骨は若草のように生き返る。(イザヤ書66章10節〜14節)



 私たちが主イエスによって贖われた事実は喜びです。教会がクリスマスをお祝いするのは、しぜんなことです。遠い日、先祖アダムとエバが犯した罪のために、私たちは罪の世界で苦しんできたのです。とりわけ神の選びの民として神の救いのご計画のために育成されていたイスラエル民族は、神様から厳しいお取り扱いを受けています。

 聖書のテーマと物語は、イスラエルをシフトしていて、異邦人、異民族は、選ばれた民であるか、それ以外のものであるかの区別でしかありません。聖書の初めからいろいろな国の名前が登場し、アブラハムの神以外を信仰する民もたくさん登場して来ますが、その違いを引く一線は、血族かどうかではありません。アブラハムの子がすでに、イサクとは別物として、分かたれています。イサクの子エサウもヤコブも、神の選別に遭いました。これは、エサウが長子である責任を自覚せず、一時の空腹のためにヤコブに長子の権利を譲り渡したからだと説明されています。けれども、この選別は、もっと厳粛ないわば神の「奥義」から出たものではないかしらと、さとうは思うのです。父イサクがひいきしていた息子だったのに、エサウは神の選びの民の外に置かれてしまいました。
 跡継ぎは一人で良いと神様がお決めになっていたとは言いきれません。ヤコブの十二人の息子はすべてイスラエル民族として、神の救いのご計画を担うこととされたからです。

 選びから外された民については、イスラエル民族と関わりがあった場合に限り、言及されているだけです。エドムやモアブやアモンやアマレク、後のアラムやツロ、アッシリヤ、バビロンなどは、すべて、イスラエルの民との接触があったから、その名が登場してくるのです。
 異邦人、異教徒の「罪」については、彼らの偶像礼拝に焦点が当たっていて、彼らがイスラエルに「偶像礼拝を持ち込んだ」罪について神の怒りの対象となっています。ですが、彼らの苦しみについては、また、彼らも地上的な苦しみからなんらの救いを求めていたかもしれないといったことは、散見できるだけです。聖書がイスラエル民族に与えられたものなのだから当然なのです。

 アブラハムから、さらに遡れば彼ら異邦人も、アダムとエバの子孫、さらに、ノアの家族から別れたのがわかります。正しい人ノアから別れ出た人間さえ、すぐに罪に罪を重ねたことも書かれています。

 楽園追放前に、神がサタンを叱って言われた「彼はおまえの頭を踏み砕き、おまえは彼のかかとにかみつく。」という宣告は、しかし、神のご計画として直後から実行されていたのでしょう。

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 イザヤ書は、選びの民イスラエルの苦しみにシフトしながら、神が怒りを露わにしながらも、イスラエル(ここではユダ王国の民)に悔い改めを迫り、救い主の到来を告げる書ではないでしょうか。
 ですから、何度も何度も救いの希望が語られています。
 主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。(イザヤ書40章31節)のです。

 やがて、救い主が明確に預言され、その預言は今日イザヤ書を読む私たちの方が、当時の人たちより深く感動できると思えるくらいです。なぜなら、預言が実現したからです。
 イザヤ書53章は、救い主イエス・キリストを降されるという父なる神の、力強いお約束そのものです。

 
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 救い主が地上にお出でになって私たちの罪を贖って下さっただけでも、大変な祝福です。ものものしい祭祀儀礼の儀式に組み込まれ、ささげ物をもち、祭司に仲介してもらわなければ、神様のもとに行くことができなかったのに、いまでは、「イエス様のお名前でお祈りします」とイエス様のあとについて、「至聖所」に入って行き、神様に「アバ、父よ!」と甘えることができるのです。

 ここには、異邦人とユダヤ人の区別はなく、イエス様のお名前にすがる者は等しく同じ国(御国)の民とされるのです。

  エルサレムとともに喜べ。
  すべてこれを愛する者よ。これとともに楽しめ。
  すべてこれのために悲しむ者よ。
  これとともに喜び喜べ。(イザヤ書66章10節)


 御国を継ぐ者がエルサレムとともに喜ぶ、というのは、元異邦人であった私たちには抵抗感があるかもしれません。けれども、エルサレムがもともと(人にはわからなくても)神の救いの計画の中心地として置かれた都であるなら、それは、救いわれた異邦人が共に喜ぶことができるのです。

  あなたは、
  彼女の慰めの乳房から乳を飲んで飽き足り、
  その豊かな乳房から吸って喜んだからだ。(11節)
  主はこう仰せられる。
  「見よ。わたしは川のように繁栄を彼女に与え、
  あふれる流れのように国々の富を与える。
  あなたがたは乳を飲み、
  わきに抱かれ、ひざの上でかわいがられる。(12節)
  母に慰められる者のように、
  わたしはあなたがたを慰め、
  エルサレムであなたがたは慰められる。(13節)
  あなたがたはこれを見て、心喜び、
  あなたがたの骨は若草のように生き返る。
  主の御手は、そのしもべたちに知られ、
  その憤りは敵たちに向けられる。」(14節)


 贖われ救われた人々は、それゆえ、乳を飲んで飽き足り、慰められ、若草のように生き返ることができるのです。


 


posted by さとうまさこ at 10:33| Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする