2014年09月05日

Coffee Break預言書・イザヤ書210 わたしは、すべての国々と種族とを集めに来る。(イザヤ書66章18節〜21節)



 神である主、今いまし、昔いまし、のちに来られる方、万物の支配者がこう言われる。「わたしはアルファであり、オメガである。」(ヨハネの黙示録1章8節)


 私たちクリスチャンは、主(聖書の神さま)を待ち望んでいます。主は、今ここにおられるのは「知って」います。ずーっと昔から、まだ人間が生まれる前、地球も太陽も宇宙さえ生成される前から、主がおられることを「知って」います。永遠の未来までも存在されるお方であるのを「知って」います。今、私たちとともにいらっしゃると「知って」いますが、それでも、主を待ち望んでいるのです。

 クリスマスは、2千年前のユダヤ人が待望していた、救い主が人となって世に来られたのを記念する日です。私たちがそのすでに実現した聖書の預言の実現を、記念行事を行うことで、喜びを新たにし、期待と信仰を新たにしているのでしょう。
 キリスト・イエスが地上にお出でになったというだけで、十分な気もします。なぜなら、イエス様は、大祭司であられ、犠牲の羊にもなって下さり、なによりも、罪を赦す権能をお持ちの神ご自身です。神の子は、父なる神と同じ権能をお持ちなのです。

 私たちはこの方のお名前を唱えてこの方の後に従い、どのようなことも願い、祈りに答えて下さる神の愛を体験しています。そればかりか、永遠のいのちを保証されているのです。
 それでも、クリスマスは神の国(神の支配される国)の到来だとは、だれも言いきれないと思います。せっかく来て下さったキリストは三十三年余りの地上での伝道を終えて天に帰って行かれました。地上には、まだ真の神を知らない者、信じない者が大勢残されていて、キリストを信じているはずのクリスチャンも、けっして神の御心どおりに整えられているのではありません。

 幸い聖書には、イエスがまた戻って来られるというお約束があります。

 わたしが行って、あなたがたの場所を備えたら、また来て,あなたがたをわたしのもとへ迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをおらせるためです。(ヨハネの福音書14章3節)


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 驚くのは、イザヤ書が救い主の到来を預言しているだけではないことではないでしょうか。
 処女が身ごもって生まれるキリスト。はずかしめられ卑しめられ、人の笑いものになって死んでいかれる救い主が預言されています。
 しかし、主は、ふたたび来ると断言しておられるのです。
 
「わたしは、彼らのわざと、思い計りとを知っている。わたしは、すべての国々と種族とを集めに来る。彼らは来て、わたしの栄光を見る。(イザヤ書66章18節)
わたしは彼らの中にしるしを置き、彼らのうちののがれた者たちを諸国に遣わす。すなわち、タルシシュ、プル、ルデ、メシェク、ロシュ、トバル、ヤワン、遠い島々に。これらはわたしのうわさを聞いたこともなく、わたしの栄光を見たこともない。彼らはわたしの栄光を諸国の民に告げ知らせよう。(19節)


 主は、思い上がった人々――すべての国々や種族をも集めに来られると仰せです。ここにある地名は、じっさいの場所というより、むしろユダヤ人の知らない遠い国々、なじみのない国々の異邦人のことでしょう。一方、異邦人は救い主はおろか、創造主なる神を知らないのです。そのような人間たちにも、主の御業を見せ、主の栄光を告げ知らせられるのです。
 とは言え、つぎの預言は、怖いですね。たんなるたとえとしては読めません。明日、吟味したいと思います。

 彼らは、すべての国々から、あなたがたの同胞をみな、主への贈り物として、馬、車、かご、騾馬、らくだに乗せて、わたしの聖なる山、エルサレムに連れて来る。」と主は仰せられる。「それはちょうど、イスラエル人がささげ物をきよい器に入れて主の宮に携えて来るのと同じである。(20節)
 わたしは彼らの中からある者を選んで祭司とし、レビ人とする。」と主は仰せられる。(21節)




posted by さとうまさこ at 10:14| Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする