2014年09月09日

Coffee Break 歴史の書・エズラ記1 ペルシャの王クロスは言う(エズラ記1章1節〜4節)



 ペルシヤの王クロスの第一年に、エレミヤにより告げられた主のことばを実現するために、主はペルシヤの王クロスの霊を奮い立たせたので、王は王国中におふれを出し、文書にして言った。(エズラ記1章1節)
 「ペルシヤの王クロスは言う。『天の神、主は、地のすべての王国を私に賜わった。この方はユダにあるエルサレムに、ご自分のために宮を建てることを私にゆだねられた。(2節)
あなたがた、すべて主の民に属する者はだれでも、その神がその者とともにおられるように。その者はユダにあるエルサレムに上り、イスラエルの神、主の宮を建てるようにせよ。この方はエルサレムにおられる神である。(3節)
 残る者はみな、その者を援助するようにせよ。どこに寄留しているにしても、その所から、その土地の人々が、エルサレムにある神の宮のために進んでささげるささげ物のほか、銀、金、財貨、家畜をもって援助せよ。』」(4節)


 エズラ記の冒頭が、U歴代誌の最後、U歴代誌36章22節23節と重複しているのは、だれでも気がつきます。クロス王のこのおふれは、BC538年の出来事です。
 南王国ユダがバビロンにより滅ぼされ、神殿が破壊され、三回目のバビロン捕囚があったのが、BC586年と言われていますから、U歴代誌には、50年も歳月を隔てたことが先取りされて記されていることになります。
 U歴代誌の著者はエズラであるとの説が有力ですし、書かれた年代も同じころであろうと言われているのですから、当然のことかと思われます。(新実用聖書注解・いのちのことば社)

 エズラ記を読むとき、U歴代誌との整合性を考えて私たちが手間取るのは、むしろ、この二つの書の歴史的背景ではないでしょうか。
 エルサレム神殿の破壊とバビロン捕囚は、その名の通りバビロン王ネブカデネザルによって行われました。バビロンはBC612年、アッシリヤを滅ぼしてカナンの北東部一帯を支配した大国でした。ところが、日の出の勢いだったバビロンも、BC539年、ペルシャのクロス王によって征服されてしまいます。

 バビロン捕囚であったユダの民が、ペルシャ王よって帰還を許されたのは、そのような政権交代が背景にありました。

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 つぎに、私たち(私が]が奇異に感じるのは、クロスの次のことばです。

 『天の神、主は、地のすべての王国を私に賜わった。この方はユダにあるエルサレムに、ご自分のために宮を建てることを私にゆだねられた。(2節)


 クロスはあたかも、「アブラハム神、イサク神、ヤコブの神」を自分の神のように敬っています。彼は、大ペルシャ帝国を下さったのは「聖書の神、ヤーウエ」と認めているのです。ペルシャの伝統的な宗教は、ゾロアスター教でした。それで、クロス王があたかもユダヤ教に改宗したかのように読めなくはないのです。
 けれども、これはもちろん、違うようです。クロスが築いたのは、史上初の大帝国と言われるアケネメス朝ペルシャでした。これはエジプトから、インド西部までの広大な地域に及んでいましたから、領内に多くの宗教がありました。クロスは、これらの異なる宗教や伝統にある程度寛容な政策を取ったのだと言われています。
 強制的な同化より、それぞれの民族の伝統や宗教を尊重して、領内の融和を図ったのです。

 このあたりの政治的流れを、バイブル・ワールド(ニック・ペイジ著、いのちのことば社)は、「聖書によると、クロスは脅威ではなく解放者であった」と解釈しています。



 

posted by さとうまさこ at 10:09| Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする