2014年09月15日

Coffee Break 歴史の書・エズラ記7 こうして、祭司、レビ人、民のある者たち、歌うたい、門衛、宮に仕えるしもべたちは、自分たちのもとの町々に住みつき、(エズラ記2章64節〜70節)



 全集団の合計は四万二千三百六十名であった。(エズラ記2章64節)
 このほかに、彼らの男女の奴隷が七千三百三十七名いた。また彼らには男女の歌うたいが二百名いた。(65節)
 彼らの馬は七百三十六頭。彼らの螺馬は二百四十五頭。(66節)
 彼らのらくだは四百三十五頭。ろばは六千七百二十頭であった。(67節)


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 私は、私たち日本人は、世界でももっとも恵まれた地に置かれた民ではないかとよく思うのです。それは、異民族間紛争から遠い環境にあることです。極東の温暖な場所で、比較的大きな島で人口もあり、豊かな産物を収穫できたのですから、周辺を陸続きで外国に囲まれていたなら、いつも略奪や侵略の危機にあったでしょう。同じ極東でも、中国や韓国はそのような紛争の只中で、歴史を紡いできたのです。
 ヨーロッパの人たちから見ると、日本、中国、韓国の人たちはまるで同じように見えると聞きます。顔かたちはもちろん、同じような文字(漢字)があり、倫理的にも宗教的にも似たような背景をもっています。
民族衣装は相当違うように見えますが、基本的には、左前にエリを合わせる「着物」スタイルが原形です。
日本の歴史上、文化の原型が大陸から朝鮮半島を経由して入ってきたものであることはだれも否定できません。にもかかわらず、その文化のもつコンセプトは大変異なった様相を見せて発達して来たのです。

 国が海に囲まれ、しかも、東側は大洋だったために、日本は異文化異民族との衝突をほとんど経験しないで済んだのです。文化は、おうおうにして平和的に入って来ました。異民族が接触する時は、礼儀正しくやってきたのです。例外は、仏教伝来時と、蒙古襲来時くらいです。
 個別的な差はあっても、総じては穏やかで几帳面で正直だと言われています。これは、いつも外国から侵略されているような国々が経験してきた「生き馬の目を抜くような」激しい闘争を体験せずに済んだ歴史と無関係ではなさそうです。

 テレビで「黒田官兵衛」が放映されていて、戦国時代の下剋上、容赦ない権謀術数などを見るとちょっと驚くのですが、それでも百年ほどの戦乱のあと、徳川政権が定まってから、明治維新の始まる、二百六十年ほどの間、平和が続くのです。
 このような国の民にとって神経を砕く出来事は、異民族の襲来などではなく、同じ民族の同じ郷土の同じ村の同じ民との中で、平和を築いていくことです。略奪、侵略、移民などの可能性がないのですから、持っているところで最大の収穫を求めるしかありません。
 日本人が、身近な関係の者の間では、非常に気を遣いあって繊細なのは、長年の歴史で培われた「処世術」の現れとも言えます。

 ただ、このような特異な文化と精神的バックボーンを作り上げた日本人には、たしかに聖書の世界を理解するのは難しいかな、と思えるのです。
 イスラエル人が、神の導きで入植を果たしたカナンからして、文明の十字路と言われた大変過酷な土地でした。文物、軍隊、商人、さまざまな人種が行き交ったのです。そのような場所では文明の洗練、人間性の陶冶、法やルールの厳格化とともに、あらゆる悪の深みも極まるのです。

 悪の極みで身動きが取れなくなった人間は、「悪とは何か」を身をもって体験するでしょう。戦争に負けて、一方的に捕囚に引かれて行く民にとって、人情や公式的なやさしい倫理に訴えてもどうにもならないことは多かったでしょう。どんなに計画通り真面目に生きていても、まるで別格の強大な権力に蹂躙される時、個人の運命など簡単に踏みつぶされてしまうのです。それに対抗するために、自分も同じような「容赦のない」対応をするでしょう。しかし、そういう繰り返しの中で、「人間には本質的に罪がある」と気がつくはずです。神とはどのような方かと、思いが及ぶでしょう。
 いえ、神様が、彼らに語りかけられるのです。
 イスラエル人にだけでなく、異教徒のペルシャの王クロスに働きかけて、神殿再建を命じさせられるのです。

 そういう「奇蹟」がありうるのです。

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 一族のかしらのある者たちは、エルサレムにある主の宮に着いたとき、それをもとの所に建てるために、神の宮のために自分から進んでささげ物をした。(68節)
 すなわち、彼らは自分たちにできることとして工事の資金のために金六万一千ダリク、銀五千ミナ、祭司の長服百着をささげた。(69節)
 こうして、祭司、レビ人、民のある者たち、歌うたい、門衛、宮に仕えるしもべたちは、自分たちのもとの町々に住みつき、すべてのイスラエル人は、自分たちのもとの町々に住みついた。(70節)


 イスラエル人たちが、さまざまな宝物や生活資材を馬やらくだやろばに載せて、パレスチナに戻ってくる様子は、映画にすると壮観でしょうね。BC586年の第三回バビロン捕囚から、BC538年の第一回の帰還まではほぼ48年間です。とうぜん、国の様子は変わってしまっていたと「知っていた」はずの人たちが、それでも、勇躍エルサレムを目指して旅をしているのです。
 それは、甘い郷愁や、将来への打算ではあり得ません。やはり、アブラハム、イサク、ヤコブの神への信仰が求心力となっているのです。
 だからこそ、崩壊した神殿の跡地で犠牲をささげ、神殿再建のために献金をしたのです。
 その後、自分たちがもともと住んでいた土地に入ったのです。




posted by さとうまさこ at 10:21| Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする