2015年04月03日

Coffee Break 知恵文学・ヨブ記98 ヨブ記の語るもの6・もしも、エリファズたちが来なかったら



 「人を見てはいけない。神を見上げるのだ」と、私も時々自分に言い聞かせます。人が邪悪だからではありません。人は、しばしば、「誘惑する者」だからです。とても魅力的なのです。すばらしいラブロマンスの主人公になるような「カッコいい」人たちだけではなく、ふつうに出会うお隣さんや電車で隣り合わせただけの人や、道行く子どもたちやお年寄りも、人を惹きつけて止まない何かを放っています。
 桜の花の美しさが、どれほど神秘的だといっても、一人の人間の神秘には比べようもありません。強く惹かれあいながら、決してわかりえない人間関係はさらに神秘的です。
 どんなに理性的な人も、ときに妙な人間関係のワナに捉えられてしまいます。いえいえ、「悪女に夢中になって身を滅ぼすりっぱな政治家の話」ではありません。

 ヨブはエリファズたちの存在に反応して、思わず自分の日をのろいました。(ヨブ記3章1節) エリファズたちは、ヨブの状況の中では一番真実な友でした。すべての人がヨブを捨てたのに、遠くからやってきてヨブと共にいっしょに座ってくれたのです。初めは、ヨブのあまりにも悲惨な姿に、口を開くこともできなかったのです。
 皮肉なことに、この友人たちの共感が、ヨブの堅い信仰を崩したのです。
 友人たちの真摯な態度に、何か「誘惑するもの」があったのでしょうか。それとも、はじめから、ヨブの信仰心が「その程度」だったのでしょうか。

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 はっきりしています。
 ここにはサタンが働いているのが見えるのです。サタンはエリファズたちの善意と共にやってきたのです。
 サタンは、「慰められたい」というヨブの気持ちの中にも、入りこんでいました。サタンに目をつけられたら、いかに簡単にそのワナにかかるか、ヨブ記は語っています。
 善意という「魅力的な」心情の中にも、「人の慰めを喜ぶ」という人間の自然な感情の中にも、サタンは働くのです。
 だとしたら、いったい私たちは、サタンのワナを逃れることができるでしょうか。

 ですから、私たちは、人を大切に思う(見る)と同時に、それ以上に、神を見上げなければいけないのかなと、私は気づかされています。
 
 心を尽くして主により頼め。自分の悟りに頼ってはならない。
 あなたの行くところどこに置いても主を認めよ。
 そうすれば主はあなたの道をまっすぐにしてくださる。(箴言3章6節)
 






posted by さとうまさこ at 10:54| Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする