2015年04月04日

Coffee Break 知恵文学・ヨブ記99 ヨブ記の語るもの7・サタンはどこへ行った?



 ヨブは、最終的には、神とお遭いすることができました。泣き叫ぶヨブに、神が答えてくださったのです。神は見当違いな非難を浴びせ続けたエリファズなど三人の友人を断罪し、その罪の贖いのために全焼のいけにえを要求されたのです。全焼のいけにえをささげ、彼らのために祈る役割りをヨブに振り当てられました。

 ヨブの潔白とエリファズたちの過ちを、神ご自身が明白にし、裁かれたのです。さらに、ヨブの持ち物を倍にして回復して下さいました。十人の子供も、またお与えになりました。「めでたし、めでたし」です。

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 としても、私たち読者には、何か腑に落ちない感じが残ります。ヨブにはわからないことですが、ヨブの苦難は天上の会議で決められたのです。サタンが神に願い出て、ヨブを試みに合わせたのです。神は最初からヨブの誠実をご存知でしたから、わかっていてサタンの申し出を受けいれられたのでしょう。
 二度目にサタンが現れた時、余裕しゃくしゃくでたしなめておられます。

 「おまえはわたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりも地上にはいない。彼はなお、自分の誠実を堅く保っている。おまえは、わたしをそそのかして、何の理由もないのに彼を滅ぼそうとしたが。」(ヨブ記2章3節)

 ところが、サタンは、さらに神に挑戦するのです。「今、あなたの手を伸べ、彼の骨と肉とを打ってください。彼はきっとあなたをのろうに違いありません。」(同2章5節)
 その結果、ヨブは悲惨な腫物で絶体絶命の苦しみを味わうのです。また、愚痴をこぼし、自分の生まれた日をのろうのです。

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 サタンは結局、二度しか現れませんでした。どうしてでしょう。
 ヨブの持ち物を二倍にして回復してやろうとする神様の前に、出てきた様子はありません。ヨブの苦しみを見て溜飲を下げたからでしょうか。神様との賭けに置いて、けっきょくサタンは、神様に勝ったと思い、次の標的を求めて、どこかを行き巡っているのでしょうか。

 でも、こういう時、私など考えるのです。なぜ、このようなサタンを、神様は放し飼いにしておられるのか。サタンの目的は創世記の時代から明らかなのです。神と人とを引き離すことに快感を抱くのです。サタンのせいで、どれだけ多くの神のしもべが苦しめられていることでしょう。だったら、この際、サタンを強く叱責し、場合によってはその手足を縛って滅ぼしてくださるといいのに・・・。

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 ヨブ記では、ヨブを苦しめたサタンは、神の叱責を受けていません。つぎの獲物を捜して地を生き巡っているのでしょう。
 「サタンがどこにいるか?」と問うと、「私たちの只中」とでも答えるしかないかもしれません。
 そうなのです。善意や慰めの中にさえサタンが紛れ込んでいるとしたら、悪意や我欲をもたないでは生きていけない私たちの世界から、サタンを追放するなんて無理です。

 サタンが恐れるのはただ一つ、神ご自身です。その神ご自身が、自らの血(御子の犠牲)で私たちを贖って下さるという方法の前に、サタンの試みは無力になったからです。
 信仰の優等生でなくても、大きなささげ物ができなくても、祭司の家柄でなくても、役員選挙に外れても大丈夫なのです。イエス・キリストを信じる信仰だけで私たちは神とお話しができるのを、げんに体験しています。
 まだまだ不完全で、しばしばサタンにとらわれそうになりますが。

 もちろん、聖書には、サタンが滅ぼされる日も明記されています。(黙示録20章10節) 







posted by さとうまさこ at 09:54| Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする