2015年04月07日

Coffee Break・詩篇1 幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。(詩編1篇1節〜6節)



 今日から詩篇について書きます。
 詩篇は、日本人が特に好きな文書だそうです。詩篇は、わかりやすく言えば「讃美歌集」です。多くの賛美歌が今でも私たちの魂を振るわせるように、詩篇も心を捉えて離さない神への賛美にあふれています。
 詩篇を貫いているのは、神に対する激しい渇望のように思えます。神を求める人間の気持ちが、率直にナマの声で注ぎ出されているのです。詩篇を読んでいる時、その言葉は容易に私たちの思いと重なり、また私たちがそれらを飲みこむように体に取り込み、霊肉を振るわせて神を賛美する古代の詩人に同化するのではないでしょうか。

 詩篇は150篇もありますが、それらは、全体として「物語」になっているのではないので、どこからでも読みやすく、ただ一節を取り出しても心を打つフレーズがたくさんあります。
 「ただ一本のバラ」を愛の贈り物として使えるように、詩篇を一節だけ採り出して贈り物にしても美しいのです。

 聖書の他の文書と同じく、詩篇にもたくさんの解説があります。その成立や文書の構造や作者など、簡単な聖書注解書にも書かれています。しかし、ここでは、調べればわかるようなことを改めて下手に引き写すことは、なるべく後回しにしたいのです。
 まず、本文を味わいたいと思うのです。
 
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 幸いなことよ。
 悪者のはかりごとに歩まず、
 罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。(詩篇1篇1節)

 詩篇は、神に向かって賛美するのですから、人間の側からの望みや渇望が歌われていることが多いと思うのです。けれども、詩篇冒頭の一篇は、誰が誰に向かって発した言葉なのでしょう。

 まことに、その人は主のおしえを喜びとし、
 昼も夜もそのおしえを口ずさむ。(2節)
 その人は、
 水路のそばに植わった木のようだ。
 時が来ると実がなり、その葉は枯れない。
 その人は、何をしても栄える。(3節)

 悪者は、それとは違い、
 まさしく、風が吹き飛ばすもみがらのようだ。(4節)
 それゆえ、悪者は、さばきの中に立ちおおせず、
 罪人は、正しい者のつどいに立てない。(5節)
 まことに、主は、正しい者の道を知っておられる。
 しかし、悪者の道は滅びうせる。(6節)

 ここには、はっきりと、正反対の概念が対照となって示されています。主に従う人と、主に背く悪者です。主に従う人のいのちは、美しく実り多い。水路のそばに植わった木に譬えられていますが、それは、人生の中で「何をしても栄える」という約束になっているのです。

 対する悪者は、「風が吹き飛ばすもみがらのようだ」とは、なんと頼りないいのちを現わしていることでしょう。「さばきの中」「正しい者の集い」は、ともに神礼拝を現わしているのでしょう。日頃罪を犯していて、神に不従順でいて、何食わぬ顔で汚れた口や手を隠して礼拝に集っても、そのような神の前には、「立ちおおせず」「立てない」と念を入れて語られています。なぜなら、神はすべてを知っておられるからです。全知全能の神の目をごまかすことは、誰にもできません。

 「悪者は滅びうせる」! これは希望であると同時に、自戒でもありますね。「あなたは悪者で、私は正義の人」という図式で捕える人は、その最初から詩篇を読み間違います。
 聖書の神様は、勧善懲悪、因果応報の神ではないことを、改めて、噛みしめたいと思います。


             ★聖書箇所は、原則として新改訳聖書を使わせていただいています。


 

posted by さとうまさこ at 09:40| Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする