2015年04月08日

Coffee Break・詩編2 「しかし、わたしは、わたしの王を立てた。わたしの聖なる山、シオンに。」(詩編2篇1節〜12節)



 なぜ国々は騒ぎ立ち、
 国民はむなしくつぶやくのか。(詩編2篇1節)
 地の王たちは立ち構え、
 治める者たちは相ともに集まり、
 主と、主に油をそそがれた者とに逆らう。(2節)
 「さあ、彼らのかせを打ち砕き、
 彼らの綱を、解き捨てよう。」(3節)

 詩編1遍で、主に愛され栄える「幸いな人」と、滅びうせる「悪者」とが取り上げられています。私たち一人ひとりは、神の前に真実でなければ裁きの場で立ちおおせないのです。神にほめ歌を歌う時、私たちは神様に対する自分の義しさを、改めて、検証させられるのです。

 2篇では、問いかけられているのは「国々」です。国とはもともと「支配」という意味ですから、ある首長の下に一定の支配が及ぶ集団のことです。旧約聖書では、家族を単位とする氏族、部族、民族とプラミッド型に束ねて行かれるような集団が、国」と呼ばれています。人は個人でも反逆しますが、個人の反逆は政治的には有効な反逆になりません。問題は、国が国に戦いを挑むような事態です。いえ、国という支配機構はむしろ、いつも別の国と衝突する宿命にあります。利害損得をめぐって、支配権をめぐって相争うのです。これは、今日まで変わりません。
 国々に対置されているのは、ここでは、「主」です。主は、神ですから、国々と主は対等に並置されているのではないですね。絶対者であられる神が、相争う国々を見下ろしておられるのです。

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 解説によると、2篇はメシヤ詩編と呼ばれるものです。メシヤに言及しているからです。メシヤはもとより、イエス・キリストです。しかし、旧約の時代、メシヤのイメージはかなりぼんやりしたものでした。神がメシヤを地上に降されて、地上を平和にして下さるという期待は十字架によって実現されるとは、誰も気が付いていなかったと思われます。

 国々を和解させ、平定し、平和をもたらすのは、同じ地上の王です。もっとも、神から任命された王でなければなりません。

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 天の御座に着いておられる方は笑い、
 主はその者どもをあざけられる。(4節)
 ここに主は、怒りをもって彼らに告げ、
 燃える怒りで彼らを恐れおののかせる。(5節)
 「しかし、わたしは、わたしの王を立てた。
 わたしの聖なる山、シオンに。」(6節]

 「わたしは主の定めについて語ろう。
 主はわたしに言われた。
 『あなたは、わたしの子。
 きょう、わたしがあなたを生んだ。(7節)
 わたしに求めよ。
 わたしは国々をあなたへのゆずりとして与え、
 地をその果て果てまで、あなたの所有として与える。(8節)

 あなたは鉄の杖で彼らを打ち砕き、
 焼き物の器のように粉々にする。』」(9節)

 神から王権を授けられた(油注がれた)王は、特別な力を持つのです。いえ、神から任命された王が、本当の王だと聖書は語っています。各血族でまとまったようなさまざまな国々も、もともとは神のものです。神はご自分が任命した王に、その国々を与えると仰せなのです。

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 この詩が意味しているのは、ソロモンであろうと言われています。(新実用聖書注解・いのちのことば社)
「しかし、わたしは、わたしの王を立てた。わたしの聖なる山、シオンに。」(6節]
 この箇所がソロモンの即位だと解釈されているのでしょう。ダビデは、ヘブロンで即位しているのです。(Uサムエル記2章4節〜11節) エルサレムで最初に即位したソロモンは事実、神の恵みと祝福を受け、すべてにわたって強大な力のある王でした。

 それゆえ、今、王たちよ、悟れ。
 地のさばきづかさたちよ、慎め。(10節) 
 恐れつつ主に仕えよ。
 おののきつつ喜べ。(11節)
 御子に口づけせよ。
 主が怒り、おまえたちが道で滅びないために。
 怒りは、いまにも燃えようとしている。

 幸いなことよ。
 すべて主に身を避ける人は。(12節)
 神の御心は、地上の王にゆだねられる

 1篇の最初と同じ、「幸いなことよ」で、2篇が閉じられているのは、文学的形式以上の意味があると見えます。主に身を避ける人が「神に真実な人」なのです。その主から王権をゆだねられている王に従うのは、ですから、正しい人なのです。そういう人は「幸いな人」だと、歌われているのです。






posted by さとうまさこ at 10:10| Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする