2015年04月09日

Coffee Break・詩編3 「しかし、わたしは、わたしの王を立てた。わたしの聖なる山、シオンに。」(詩編2篇1節〜12節)



ダビデがその子アブシャロムから
のがれたときの賛歌

 主よ。なんと私の敵がふえてきたことでしょう。
 私に立ち向かう者が多くいます。(詩編3篇1節)
 多くの者が私のたましいのことを言っています。
 「彼に神の救いはない。」と。セラ(2節)

 しかし、主よ。
 あなたは私の回りを囲む盾、私の栄光、
 そして私のかしらを高く上げてくださる方です。(3節)

 私は声をあげて、主に呼ばわる。
 すると、聖なる山から私に答えてくださる。セラ(4節)

 私は身を横たえて、眠る。
 私はまた目をさます。
 主がささえてくださるから。(5節)
 私を取り囲んでいる幾万の民をも私は恐れない。(6節)

 主よ。立ち上がってください。
 私の神。私をお救いください。
 あなたは私のすべての敵の頬を打ち、
 悪者の歯を打ち砕いてくださいます。(7節)
 救いは主にあります。
 あなたの祝福があなたの民の上にありますように。セラ(8節)

★★★★★

 ダビデは、イスラエルを統一してイスラエル王国を立てたすぐれた王でしたが、その生涯は、波乱と苦難に満ちていました。とりわけ、家庭的には恵まれた人とは言えませんでした。多くの妻がいたことは当時の社会的風習の許容範囲だったかもしれません。しかし、母親の異なる多くの子どもたちの間で、当然、「事件」が持ち上がるのです。
 たとえば、ダビデの4番目の妻マアカの娘タマルが異母兄のアムノンに暴行される事件です。処女である王女を肉親が暴行するのは、律法的にも倫理的にも大変ひどい行為でした。タマルはひどく傷つきますが、ダビデはこれを聞いても、アムノンをきちんと処罰できませんでした。

 これが、のちの「アブシャロムの乱」の導火線になっているのです。アブシャロムはタマルの同腹の兄でした。とうぜん強い恨みをアムノンに抱き、奸計をもってアムノンを殺害します。アムノンを愛していたダビデは、アブシャロムを許すことができず、逃亡先からの帰還を許しても、実際に会うことはありませんでした。(Uサムエル記13章14章)
 この間に、アブシャロムの父王への敵意が増幅して言ったようです。アブシャロムは時期を見て反乱を起こすのです(同15章)いのちの危険に迫られたダビデは、都を捨て、マハナイムに落ち延び、両者の軍はエフライムの森で戦うことになるのです。(同18)
 ダビデとアブシャロムの相克は、ダビデの生涯でもっとも大きな事件でした。結果的にはダビデが勝利し、アブシャロムは部下によって戦場で殺されます。
 この事件は、多くの意味で、ダビデの心に大きな傷を残したことでしょう。

★★★★★

 戦場での生死をかけた戦いは、何度も経験しているダビデです。それでも、王政が安定し、人望のある王としていわば円熟期にある時代に、息子の反乱に遭い、いのちの危険にさらされるとき、ダビデは、かつてないような恐れと苦しみを経験したに違いありません。

 「彼に神の救いはない」と言われたのが、本当のことかどうかはわかりません。ダビデの側近が彼の耳に入れるはずのないことばです。
 サウルに追われていた時、サウル家との戦いの間、どれほど苦しくても、ダビデは「自分には神が付いておられる」との確信があったはずです。それなのに、息子との戦いでは、その確信が揺らいで知るのです。それは彼自身が犯した罪から来るものでした。聡明な(と、さとうは思うのです)ダビデは、アブシャロムの心情もよく理解できたでしょう。アムノンを処断できなかった自分の優柔不断もわかっていたでしょう。彼の生き方は、神に従ったとは言い難かったのです。

★★★★★

 自分にも罪があると理解しながら、それでも、ダビデには、神にすがるしか道がありませんでした。ダビデは、神によって立てられ、油注がれ、神の守りと祝福の中で王であったのです。ですから、彼は、「声を上げて主に呼ばわる」しかないのです。すると、神が答えてくださるのです。すると、聖なる山から私に答えてくださる。
 それでも、彼は重ねて祈ります。

 主よ。立ち上がってください。
 私の神。私をお救いください。

 救いは主にあります。

 これほどまでに、熱心に祈るダビデに打たれます。これほどまでの信頼を、主に寄せるように、これを読む私も促されているのだと思うのです。





posted by さとうまさこ at 09:32| Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする