2015年04月10日

Coffee Break・詩編4 私が呼ぶとき答えてください(詩編4篇1節〜8節)



指揮者のために。
弦楽器に合わせて。ダビデの賛歌

 私が呼ぶとき、答えてください。
 私の義なる神。
 あなたは、私の苦しみのときに
 ゆとりを与えてくださいました。
 私をあわれみ、私の祈りを聞いてください。(詩編4章1節)
 人の子たちよ。いつまでわたしの栄光をはずかしめ、
 むなしいものを愛し、
 まやかしものを慕い求めるのか。  セラ(2節)

 詩編1篇と詩編2篇が、最初は一つの詩であったのではないかと説明されているように、(新実用聖書注解P725)詩編3篇と詩編4篇は同じ背景で書かれたと推定されています。(同注解書P727)
 とすると、やはり、アブシャロムの乱に巻き込まれた時のダビデの祈りでしょうか。

 知れ。主は、
 ご自分の聖徒を特別に扱われるのだ。
 私が呼ぶとき、主は聞いてくださる。(3節)
 恐れおののけ。そして罪を犯すな。
 床の上で自分の心に語り、静まれ。セラ(4節)
 義のいけにえをささげ、主に拠り頼め。(5節)

 ダビデが主に祈って訴えているのは何でしょう。それは、自分が「聖徒」であると言う確信です。とりわけ、自分が神から油注がれた王であるという自負でしょう。王に叛くことが悪であるのは、イスラエル王国では、単に反乱が(社会秩序を乱すから)悪いというような道徳的な基準ではないのです。王は神から任命され統治を委託されているからです。
 神から油注がれて王になったダビデは、聖徒の中の聖徒と言えるでしょう。ダビデは、王である自分に確信があったと同時に、その王に叛いた者たちの「罪」に警告しているのです。彼らも静まって神の声を聞けば、自分たちの過ちがわかるはずだ。悔い改めていけにえをささげて、主に祈ってほしい、そう訴えているのでしょう。

★★★★★

 多くの者は言っています。 
 「だれかわれわれに
 良い目を見せてくれないものか。」
 主よ。どうか、あなたの御顔の光を、
 私たちの上に照らしてください。(6節)

 反乱軍を前にして逃げる王の心情は、何とも苦渋に満ちた物だったでしょう。王に従ってくる味方のなかにも、さまざまな揺らぎがあるのです。旗色が悪くなると部下の士気は低下します。ため息交じりに、「ああ、こんな生活がいつまで続くのかなあ」と、部下が不信心になっている姿を見ることもあります。主よ。「どうか、あなたの御顔の光を、私たちの上に照らしてください」と、叫ぶのは当然です。

★★★★★

 さいわい、祈りは聞き届けられるのです。反乱軍が降参したからではありません。少なくとも,ここはそのような歌ではないと思います。
 アブシャロムは最後は敗北し、みじめに殺されるのですが、そのような息子の敗北をダビデは、決して喜んでいないからです。(Uサムエル記18章19節)

 あなたは私の心に喜びを下さいました。
 それは穀物と新しいぶどう酒が
 豊かにあるときにもまさっています。(7節)
 平安のうちに私は身を横たえ、
 すぐ、眠りにつきます。
 主よ。あなただけが、
 私を安らかに住まわせてくださいます。(8節)


 かりに敵の中にいて、まだまだ身の危険が迫っていても、祈りが神に届いたと確信できるとき私たちは、喜びに満たされるのではないでしょうか。それはたしかに、豊かな食卓で腹が満たされるにもまさった喜びです。空腹で、野戦の宿舎で横になっても、「平安のうちに眠りに落ちることができる」やすらぎに包まれるのです。







posted by さとうまさこ at 09:25| Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする