2015年04月12日

Coffee Break・詩編6 悔い改めの詩編(詩編6篇1節〜10節)



指揮者のために。八弦の竪琴に
合せて。ダビデの賛歌


 主よ。御怒りで私を責めないでください。
 激しい憤りで私を懲らしめないでください。(詩編6篇1節)
 主よ。私をあわれんでください。
 私は衰えております。
 主よ。私をいやしてください。
 私の骨は恐れおののいています。(2節)
 私のたましいはただ、恐れおののいています。
 主よ。いつまでですか。あなたは。(3節)

 読んでいると、号泣している人の顔が浮かんでくるような詩です。賛美歌にこのような感情の表明があったなんて、今、ちょっと考えられないですね。私たちも賛美の中で、主よ。あわれんでください。癒してくださいと祈りますが、これほど、はっきりと「主よ。私を懲らしめないでください」と訴えるのをためらわないでしょうか。
 私の信仰が甘いのかもしれませんが、私にとっては、神(イエス様)は、懲らしめの神ではなく赦しの神、愛の神様なのです。ここまで言わなくても、わかって下さると思いたくなるのです。

 これは、じつは、「悔い改めの詩編」と呼ばれる7つの詩編(6,32,38,51、102,130,143篇)の最初のものだそうです。(新実用聖書注解・いのちのことば社)
これはダビデが病気の中で苦しんでいて、神に見捨てられることを恐れている時の祈りだとのことです。(同注解書)
 ダビデにも、今日なら、そのスキャンダルだけで世から抹殺されそうなほどの罪がありました。知られているパテ・シェバ事件です。もちろん、悔い改めたのですが、それは、たぶんダビデの生涯を通じて大きな刺となっていたのです。

★★★★★

 帰って来てください。主よ。
 私のたましいを助け出してください。
 あなたの恵みのゆえに、私をお救いください。(4節)
 死にあっては、
 あなたを覚えることはありません。
 よみにあっては、
 だれが、あなたをほめたたえるでしょう。(5節)
 私は私の嘆きで疲れ果て、
 私の涙で、夜ごとに私の寝床を漂わせ、
 私のふしどを押し流します。(6節)
 私の目は、いらだちで衰え、
 私のすべての敵のために弱まりました。(7節)

 しかも、ダビデはバテ・シェバを離別することはできませんでした。人間的に見れば、バテ・シェバは、ダビデのどの妻にもましてダビデの心を捉える女性だったのでしょう。彼女とその息子ソロモンに王が心ひかれていることが、アムノンやアブシャロムの事件を起こした遠因でなかったとは言えません。
 苦しみが訪れた時、ダビデは自分の弱さを思い、涙を流すしかなかったのです。

 きっぱりとさばきの剣を振るって悪を断ち切ると、考えるのは簡単です。けれども、そのような剣は自分に対して一番、振るいにくいのではないでしょうか。その結果、人が嘲笑します。人の心が離反します。自分に対して不法に振る舞う人たちを、結局自分で追い払うことができません。

 主にすがるしかないのです。それも、必死におすがりするしかないのです。

 不法を行なう者ども。みな私から離れて行け。
 主は私の泣く声を聞かれたのだ。(8節)
 主は私の切なる願いを聞かれた。
 主は私の祈りを受け入れられる。(9節)
 私の敵は、みな恥を見、
 ただ、恐れおののきますように。
 彼らは退き、恥を見ますように。またたくまに。(10節)

 醜態とも言えるほどの「泣き」を見せて悔い改めるのは、勇気が要ります。私など、とうていできないと、嘆息します。
 この壮絶さが、でも、ダビデの偉大さ、神がダビデを生涯選んでお放しにならなかった第一の理由かとも思います。





posted by さとうまさこ at 08:08| Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする