2015年04月14日

Coffee Break・詩編8 あなたの御名は全地にわたり、(詩編8篇1節〜9節)



指揮者のために。ギテトの調べに
合わせて。ダビデの賛歌


 私たちの主、主よ。
 あなたの御名は全地にわたり、
 なんと力強いことでしょう。
 あなたはご威光は天でたたえられています。(詩編8篇1節)
 あなたは幼子と乳飲み子たちの口によって、
 力を打ち建てられました。
 それは、あなたに敵対する者のため、
 敵と復讐する者とをしずめるためでした。(2節)

 私は、キリスト教信仰をすばらしいと思っています。信仰をもったのは、キリスト教だけだったのですから他の宗教と比べているのではありません。キリスト教には聖書があり、その聖書は、私がどのような神を信じるのかについて、明確に記しています。
 その第1ページの一行目にすでに明らかです。「初めに、神が天と地を創造した。」(創世記1章1節)
 神は世界のすべての創造者であり、世にあるすべてのものは被造物だと、聖書の最初の3ページを読むだけでわかるのです。このような神が、本当の神であると言うのはきわめて合理的です。なぜなら、どれほど、階層をつけても、地上にあるものはすべて完全に依存し合っていて、「だれが(なにが)」トップだとは決められません。

 民話の「ねずみの嫁入り」は、地上にあるもろもろの相対性を皮肉っぽい「お話」にまとめています。ねずみの両親が娘のねずみを「りっぱな」婿に嫁がせたくて、世界一強くてりっぱだと思える太陽のところに、「娘を貰って下さい」とお願いにいくのです。すると、太陽は、雲が自分より強いと言います。雲は風の方が強いと言い、風は壁にかなわないと言い、壁はねずみにはかなわないと言い、結局ねずみに嫁がせることになるのです。

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 私たちは創造者を覚えるとき、畏敬の念に打たれます。世の中には、このような創造者を認めない考え方があるのは事実です。多くの、いわゆる無神論者たちは、「それでは何故、それが存在するのか」を説明するために、日夜奮闘しています。その結果、多くの「宇宙生成論」が、年ごとに更新されて発表されているわけです。

 宇宙の年齢も広さも年々更新され、宇宙の生成論は私の学生時代とでも、まるで違っています。
 学説が変わるのは、悪いことではないかもしれませんが、毎年のように更新される学説を「理解する」のは、平凡な私の頭脳には大変です」

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 あなたの指のわざである天を見、
 あなたが整えられた月や星を見ますのに、(3節)
 人とは、何者なのでしょう。
 あなたがこれを心に留められるとは。
 人の子とは、何者なのでしょう。
 あなたがこれを顧みられるとは。(4節)

 創造者が星や月と同じように,人を創造して下さり、しかも天体とは比べようもない小ささ無力さにも拘わらず、目を止めてくださっていると詩人は歌っています。このような事実は、主の主権による保証がなくてはあり得ません。

 あなたは、人を、神よりいくらか劣るものとし、
 これに栄光と誉れの冠をかぶらせました。(5節)
 あなたの御手の多くのわざを人に治めさせ、
 万物を彼の足の下に置かれました。(6節)
 すべて、羊も牛も、また、野の獣も、(7節)
 空の鳥、海の魚、海路を通うものも。(8節)

 主のみわざを思う時、本当に私たちは思わず叫んでしまいます。

 私たちの主、主よ。
 あなたの御名は全地にわたり、
 なんと力強いことでしょう。(9節)

 ちなみにギデドとは、調べの一種で、ガテに由来するメロディか楽器であろうと言われている(新実用聖書注解・いのちのことば社)そうです。





posted by さとうまさこ at 08:44| Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする