2015年04月16日

Coffee Break・詩編10 主よ。なぜ、あなたは遠く離れてお立ちなのですか。(詩編10篇1節〜11節)



 主よ。なぜ、あなたは遠く離れてお立ちなのですか。
 苦しみのときに、なぜ、身を隠されるのですか。(詩編10篇1節)
 悪者は高ぶって、悩む人に追い迫ります。
 彼らが、おのれの設けたたくらみに
 みずから捕えられますように。(2節)

 詩編10篇は、詩編9篇とひと続きのように見える内容です。
 詩人は、9篇の最期で、主よ。立ち上がって下さい。人間が勝ち誇らないために。(9篇19節)主よ。彼らに恐れを起こさせて下さい。(同20節)と叫んでいます。

 ところが、叫んでも声が届かないともどかしい時があるのでしょう。今こそ、主に守っていただきたいのに、主が身を隠しておられると思える時が。
 結局、悪者は自分の掘った穴に落ちる(7章15節)との確信が信仰者を慰めるのも事実です。
神が(見えなくても)働いておられるかぎり、悪者が我が物顔に活動し、勝ち誇ることはないのですから。
 
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 悪者はおのれの心の欲望を誇り、
 貪欲な者は、主をのろい、また、侮る。(3節)
 悪者は高慢を顔に表わして、神を尋ね求めない。
 その思いは「神はいない。」の一言に尽きる。(4節)
 彼の道はいつも栄え、
 あなたのさばきは高くて、彼の目に、はいらない。
 敵という敵を、彼は吹き飛ばす。(5節)
 彼は心の中で言う。
 「私はゆるぐことがなく、
 代々にわたって、わざわいに会わない。」(6節)
 彼の口は、のろいと欺きとしいたげに満ち、
 彼の舌の裏には害毒と悪意がある。(7節)

 私の若い頃、生き方指南や社会評論で人気のあった亀井勝一郎という方がいました。その亀井氏が書いていたことで今も鮮明に覚えている個所があります。
 「何が強いと言って、利己主義者ほど強いものはない。利己主義者(エゴイスト)とは自分の体と心のことばかり考えている人である」
 亀井氏はむしろ、当時の左翼的な風潮の中に理想を求めていた人ですから、ここでは、「神」は視野の外にあるのです。けれども、神を信じる者にとって、神を信じないことは自分を一番とすることなのですから、奇しくも彼は、神を信じない人の強さに言及していたわけです。
 じっさい、神の存在を見ないと、どんなことでも平気で出来てしまうのです。

 彼は村はずれの待ち伏せ場にすわり、
 隠れた所で、罪のない人を殺す。
 彼の目は不幸な人をねらっている。(8節)
 彼は茂みの中の獅子のように
 隠れ場で待ち伏せている。
 彼は悩む人を捕えようと待ち伏せる。
 悩む人を、その網にかけて捕えてしまう。(9節)
 不幸な人は、強い者によって砕かれ、うずくまり、
 倒れる。(10節)

 隠れた所で、罪のない人を平気で殺すこと。待ち伏せして人を襲うこと。網をかけて身動きできないようにすること、これらは、いずれも卑怯者が人間を獲物のように殺すときのやり方です。
 そうして、悩む人、不幸な人を砕いて、悪者はうそぶくのです。

 彼は心の中で言う。
 「神は忘れている。顔を隠している。
 彼は決して見はしないのだ。」(11節)
 





posted by さとうまさこ at 09:10| Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする