2015年04月17日

Coffee Break・詩編11 あなたは、見ておられました。(詩編10篇12節〜18節)



 主よ。立ち上がってください。
 神よ。御手を上げてください。
 どうか、貧しい者を、忘れないでください。(詩編10章12節)

 12節は、詩編10篇1節――主よ。なぜ、あなたは遠く離れてお立ちなのですか。苦しみのときに、なぜ、身を隠されるのですか、と、対句になっています。
 
 なぜ、悪者は、神を侮るのでしょうか。
 彼は心の中で、あなたは追い求めない
 と言っています。(13節)

 同様に、13節は、詩編10篇3節に対応しているのです。この詩を一読してわかるのは,このような祈りをしなければならない祈り手(ダビデ)の置かれた状況の深刻さです。ダビデは悪者に追い追われて苦しんでいるのです。悪者とは、「神を見ない人、神は顔を隠している」とうそぶく者たちです。
 ダビデの生涯では、サウル王から命を狙われて逃げまどっていた時が、ダビデにとって一番試練の時期だったように見えます。けれども、サウルが死んでダビデがイスラエルの王位を確かなものにしていくプロセス、全イスラエルに号令できるようになって以降、王政が安定して、多くの妻と子供たちが王宮を彩る時代の記録も、仔細に記録を読むと、彼のまわりには悪者が横行していたのがわかります。

 たとえば、彼の最も信頼していた甥たち――ヨアブ、アビシャイ、アサエルの三兄弟の中で、ヨアブは権謀術数を使う腹黒い臣下です。彼のダビデへの忠義は無私の行為ではなく、ヨアブ自身の利益になることをするのです。
 その結果、ヨアブはサウル王の忠臣アブネルを謀殺します。王子アブシャロムでさえ、王の命令に反して殺してしまいます。一応親族であり、苦難を共にしてきたダビデ政権の中枢にいる者であり、一見忠実な部下であるこの男が、ダビデをしばしば苦しめているのは、聖書の行間に現れているのです。

 このような男をダビデは、「神を侮っている」と思ったことでしょう。

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 私たちにとって、悪とは何でしょう。目に見える敵、例えば、戦争における敵兵とか政的、侵入強盗とか刃物を手に追いつめて来るような敵はもちろん、「悪」です。けれども、今目の前で自分のいのちを狙う悪に対しては、祈っている暇はありません。まず、対抗するのです。
 私たちを苦しめるのは、悪が自分の中、または味方の中にある時ではないでしょうか。「獅子身中の虫」こそが、警戒すべきなのです。ところが、私たちはこの「虫」を追い払うことはできません。どんな権力も一人では維持できず、当然その内部に、権力を支える代わりに「うまい汁」を吸う人間を抱えることになるからです。

 王であるダビデのジレンマは、しかし、庶民である私たちも経験する苦しみかもしれません。なぜなら、自分が拠って立つ場所には必ず悪があり、自分で追い払うことができない「獅子身中の虫」がいるからです。

 あなたは、見ておられました。
 害毒と苦痛を。
 彼らを御手の中に収めるために
 じっと見つめておられました。
 不幸な人は、あなたに身をゆだねます。
 あなたはみなしごを助ける方でした。(14節)
 悪者と、よこしまな者の腕を折り、
 その悪を捜し求めて
 一つも残らぬようにしてください。(15節)

 私たちはここで言われる「不幸な人」かと思います。同時に、「よこしまな者」を身中に置いていて苦しめられているのではないでしょうか。
 それを、排斥することは、人の力ではできません。
 だからこそ、私たちは神さまに祈り求めるしかなかったダビデの苦衷に、自分の祈りを重ねるのではないでしょうか。

 主は世々限りなく王である。
 国々は、主の地から滅びうせた。(16節)
 主よ。あなたは貧しい者の願いを
 聞いてくださいました。
 あなたは彼らの心を強くしてくださいます。
 耳を傾けて、(17節)
 みなしごと、しいたげられた者を
 かばってくださいます。
 地から生まれた人間が
 もはや、脅かすことができないように。(18節)







posted by さとうまさこ at 09:54| Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする