2015年04月18日

Coffee Break・詩編12 主は正しい者と悪者を調べる。(詩編11篇1節〜7節)



指揮者のために。ダビデによる

 主に私は身を避ける。
 どうして、あなたたちは私のたましいに言うのか。
 「鳥のように、おまえたちの山に飛んで行け。(詩編11篇1節)
 それ、見よ。悪者どもが弓を張り、
 弦に矢をつがえ、暗やみで
 心の直ぐな人を射ぬこうとしている。(2節)
 拠り所がこわされたら正しい者に何ができようか。(3節)

 新実用聖書注解(いのちのことば社)は、この詩の背景に、サウル王からの迫害を受けるダビデを見ています。Tサムエル記18章以降です。ゴリヤテを倒して、イスラエルを救い、一躍イスラエルの英雄になった若者ダビデ。しかし、そのダビデに対して王であったサウルは、ダビデへの激しい嫉妬と恐怖にかられ、ダビデに疑心暗鬼を抱くのです。
 
 その翌日、わざわいをもたらす、神の霊がサウルに激しく下り、彼は家の中で狂いわめいた。ダビデは、いつものように、琴を手にしてひいたが、サウルの手には槍があった。
 サウルはその槍を投げつけた。ダビデを壁に突き刺してやろう、と思ったからである。しかし、ダビデは二度も身をかわした。
 サウルはダビデを恐れた。主はダビデとともにおられ、サウルのところから去られたからである。(Tサムエル記18章 10節〜12節)

 ここから、ダビデを殺すことがサウルの目的になって行くのです。主が去られた王サウルは、まさに悪魔の操り人形になってしまっていました。
 ダビデに好意を寄せる人たちは、なんとか、ダビデをサウルの魔の手から救おうとするのです。サウルの王子ヨナタンやダビデの妻になった娘ミカルもダビデの逃亡に手を貸しています。けれども、サウルは、身近な者までがダビデに心を寄せていることで、ますます恐怖と疑惑を募らせるのでした。

 命を狙われているダビデに対しては、ヨナタンでさえ、「私の父サウルは、あなたを殺そうとしています。それで明日の朝は、注意して隠れ場にとどまり、身を隠していて下さい。」と忠告するしかなかったのです。(同19章2節)
 まさに、鳥が山に逃げ帰るように、ダビデに「身をひそめること」を勧めているのです。

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 本来、王は、法律を正しく施行する者です。王に正義がなければ、国民はそこで暮らす「拠り所」を失います。私たちは、悪魔のような権力者の下で犠牲になった「正しい者の話」をたくさん知っています。ヒットラーもスターリンも「正論」を主張する多くの国民を抹殺しました。
 法や権力の剣が、神の目から外れてふるわれるとき、どれほど正しくても、一人の人間は、その剣に立ち向かうことはできません。

 迫害から逃げ回る人にできるのは、ただ祈ることだけです。

 主は、その聖座が宮にあり、
 主は、その王座が天にある。
 その目は見通し、
 そのまぶたは、人の子らを調べる。(4節)
 主は正しい者と悪者を調べる。
 そのみこころは、暴虐を好む者を憎む。(5節)
 主は、悪者の上に、網を張る。
 火と硫黄。燃える風が彼らの杯への分け前となろう。(6節)
 主は正しく、正義を愛される。
 直ぐな人は、御顔を仰ぎ見る。(7節)

 もちろん、これは単なるイメージや願望ではありません。
 事実、直ぐな人は主の正義を見るのです。ですから御顔を仰ぎ見ることができるのです。







posted by さとうまさこ at 09:55| Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする