2015年04月20日

Coffee Break・詩編14 主よ。いつまでですか(詩編13篇1節〜6節)



指揮者のために。ダビデの賛歌

 主よ。いつまでですか。
 あなたは私を永久にお忘れになるのですか。
 いつまで御顔を私からお隠しになるのですか。(詩編13篇1節)
 いつまで私は自分のたましいのうちで
 思い計らなければならないのでしょう。
 私の心には、一日中、悲しみがあります。
 いつまで敵が私の上に、勝ちおごるのでしょう。(2節)

 私たちが神様に苦しみを訴えるとき、「いつまでですか」は、一番大きな問ですね。主に信頼する者は、いつの日か苦難が終わると信じています。根本的には、神様が助けてくださるのを疑っていません。しかし、その期間は問題です。苦しみが終わる時が、もし、わかるなら耐えられることはたくさんあるでしょう。
 ひどい飢えやかわき、寒さや暑さ、敵の絶え間ない攻撃でさえ、その先に望みが抱けるからです。
「いつまでですか」は、現代でも、信徒たちが口にする訴えの定型ではないでしょうか。

 私に目を注ぎ、私に答えてください。
 私の神、主よ。私の目を輝かせてください。
 私が死の眠りにつかないように。(3節)

 問いかけには、答えが返って来るという手ごたえが必要です。たとえ、求めるものが受け入れられなくても、答えてもらえるだけで、世界が開けるのです。

 ヨブの悩みは、神が彼の問いに答えてくださらないと思える時、いっそう深刻になって行きました。また、神が雲の間から答えてくださった時、彼は、ただ無条件に感謝して平伏できました。そのとき、きっとヨブの目は輝いたに違いありません。もし、あの時、神が答えてくださらなかったら、ヨブはすべてを喪失した敗残の気持ちと病気のために、遠からず死んでしまったことでしょう。
 
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 また私の敵が、「おれは彼に勝った。」
 と言わないように。
 私がよろめいた、と言って私の仇が喜ばないように。(4節)

 人間が生身である限り、敵の存在はやはり苦しみの原因です。私たちが、社会で抱える問題の半分以上は人間関係と言っても過言ではないでしょう。教会で、同じ主にある兄弟姉妹たちの間でさえ、その関係が悩みの原因になることがあります。
 そのような時、「人を見るのではなく、神を見上げるように」と導かれますが、なかなか素直に神様により頼めないことも多いのです。
 4節のこのことばは、社会生活を送る誰もが、一度は心に抱く「疑心暗鬼」ではないでしょうか。

 ところが、そこから、さらに妄想を広げて疑心暗鬼のワナに落ちる人もいれば、引き揚げられて喜ぶ人もいるのです。

 私はあなたの恵みに拠り頼みました。
 私の心はあなたの救いを喜びます。(5節)
 私は主に歌を歌います。
 主が私を豊かにあしらわれたゆえ。(6節)

 結果的に喜びを見るのは、神を見上げる人です。神の恵みに気が付いて、救いを受けいれるとき、私たちは喜べます。
 そうすると、もはや、敵の言葉や態度は気にならなくなるのです。
そうです。そのとき、主にほめ歌を歌うことができます。ハレルヤ!
 




posted by さとうまさこ at 09:53| Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする