2015年04月29日

Coffee Break・詩編23 神、その道は完全(詩編18篇30節〜50節)




 神、その道は完全。
 主のみことばは純粋。
 主はすべて彼に身を避ける者の盾。(詩編18篇30節)
 まことに、主のほかにだれが神であろうか。
 私たちの神を除いて、だれが岩であろうか。(31節)
 この神こそ、私に力を帯びさせて
 私の道を完全にされる。(32節)
 彼は私の足を雌鹿のようにし、
 私を高い所に立たせてくださる。(33節)
 戦いのために私の手を鍛え、
 私の腕を青銅の弓をも引けるようにされる。(34節)

 ダビデは、神から「油注がれた者」でした。神がダビデを選びだされたばかりに、ダビデの運命は大きく動いたのです。もし――聖書の物語に「もし」はないかもしれませんが――神から油を注がれなかったら、ダビデはハンサムで竪琴が上手な牧童として、のどかに一生を終えたかもしれません。しかし、神から召命を受けた日に、ダビデの人生は大きく動いたのです。ダビデ自身が「神のしもべ」となったからです。

 ガテの王アキシュのところから命からがら逃げ出し、アドラムのほら穴に避難したとき、ほら穴の要害からユダに戻って来てまた、サウルに追われるようになった時、(Tサムエル記21章10節〜22章23章)ダビデは、「自分が神から油を注がれさえしなかったら、こんな苦労をしなかったのに」と思い、神をのろうことがあったでしょうか。
 もちろん、そんなことはなかったのです。それどころか、ダビデはその苦難の中でも、神が常に彼と共にいて下さることを「体験して」いたのです。でなければ、「神、その道は完全」「私たちの神を除いて、だれが岩であろうか。」などと歌えるはずはありません。「この神こそ、私に力を帯びさせて」と、彼は自分が、試練によって強められていくのを実感していたに違いありません。

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 こうしてあなたは、御救いの盾を私に下さいました。
 あなたの右の手は私をささえ、
 あなたの謙遜は、私を大きくされます。(35節)
 あなたは私を大またで歩かせます。
 私のくるぶしはよろけませんでした。(36節)

 「あなたの謙遜」は、さとうにはちょっと難しい箇所でした。信仰において、私たちが謙遜であることは当然です。けれども、神の謙遜とは?
 新実用聖書註解は次のように説明しています。「――ダビデは自分のような貧しい者が神の民の王とされたのはまったく神の恵みによるのであり、それは主が高い天の上からご自身を低くして地に降りて来られたからにほかならないと告白している(→18章9節参照)

 神が、ご自分を低くして私たちのところまで下りて来られたことは恵みであり、それゆえ、私たちは救いにあずかるのだと認識するのは、民の王ではない私にも必要なことなのですね。私たちもまた、召しを受けた者であり、救われた者として、イエス様の後に従うことができる。これはまさに、この神の謙遜から出たことと言われているのですから。

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 私は、敵を追って、これに追いつき、
 絶ち滅ぼすまでは引き返しませんでした。(37節)
 私が彼らを打ち砕いたため、
 彼らは立つことができず、私の足もとに倒れました。(38節)
 あなたは、戦いのために、私に力を帯びさせ、
 私に立ち向かう者を私のもとにひれ伏させました。(39節)
 また、敵が私に背を見せるようにされたので、
 私は私を憎む者を滅ぼしました。(40節)

 彼らが叫んでも、救う者はなかった。
 主に叫んでも、答えはなかった。(41節)
 私は、彼らを風の前のちりのように、打ち砕き、
 道のどろのように除き去った。(42節)

 あなたは、民の争いから、私を助け出し、
 私を国々のかしらに任ぜられました。
 私の知らなかった民が私に仕えます。(43節)
 彼らは、耳で聞くとすぐ、
 私の言うことを聞き入れます。
 外国人らは、私におもねります。(44節)
 外国人らはしなえて、
 彼らのとりでから震えて出て来ます。(45節)

 主によって強められた者にとって、どのような強い敵も恐れるに足りないと、思わせられる箇所です。実際、これは今日では、かならずしも同じ社会の敵、あるいは戦いの中にある相手と考える必要はないと思われます。
 「罪を憎んで人を憎まず」と言いますが、敵とは「罪」であると考えれば、よくわかります。敵は自分の外だけでなく、自分自身の中にもいます。でも、「謙遜な主」によって、「人の世界にまで下りて来られた主」によって、私たちは救われるのですから。

 まことに、ダビデが次のように歌っていることに、共感を覚えますね。
 今日、詩編が多くの人によって唱えられ、歌われるのは当然ですね。

 主は生きておられる。
 ほむべきかな。わが岩。
 あがむべきかな。わが救いの神。(46節)
 この神は私のために、復讐する方。
 神は諸国の民を私のもとに従わせてくださる。(47節)
 神は、私の敵から私を助け出される方。
 まことに、あなたは私に立ち向かう者から
 私を引き上げ、(48節)
 暴虐の者から私を救い出されます。
 それゆえ、主よ。
 私は、国々の中であなたをほめたたえ、
 あなたの御名を、ほめ歌います。(49節)
 主は、王に救いを増し加え、
 油そそがれた者、ダビデとそのすえに、
 とこしえに恵みを施されます。(50節)








posted by さとうまさこ at 10:15| Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする