2015年09月01日

Coffee Break詩編・143 彼らは年老いてもなお、実を実らせ、みずみずしく、おい茂っていましょう。(詩編92編10節〜15節)



 この詩のタイトルは、「安息日のための歌」です。安息日を定めて下さった神さまへの感謝の歌です。
 今では、私たちは365日休みなく働くことなど考えられません。また、そのように働き詰めであることを、「美徳」だとも思っていません。
 休みを取って、休まなければ能率が落ちるのは人間だけではありません。私は、農業についてはまるで素人ですが、畑や田んぼも時々休ませなければ収穫が落ちるそうです。イスラエルの律法では、6年収穫を続けると7年目は土地を休ませなければならないと定められています。(出エジプト記23章10節11節、レビ記25章1節〜7節)
 捕囚生活の時にも、イスラエル人たちは安息日を遵守し、このような賛美を歌ったのでしょう。

 しかし、あなたは私の角を
 野牛の角のように高く上げ、
 私に新しい油をそそがれました。(詩編92篇10節)
 私の目は私を待ち伏せている者どもを見下し、
 私の耳は
 私に立ち向かう悪人どもの悲鳴を聞きます。(11節)
 正しい者は、なつめやしの木のように栄え、
 レバノンの杉のように育ちます。(12節)

 こんにちのクリスチャンから見ると、詩編は、しばしば神に「敵への仕返し」を願っているような気がします。これは、イエス様から「敵のために祈りなさい」(マタイの福音書5章44節、ルカの福音書6章35節)と戒められている新約の民であるクリスチャンには、少し抵抗があるでしょうか。じつは、旧約聖書にあっても、復讐は神のものであると戒められている(申命記32章35節)のです。ですから、それゆえに、彼等は神に敵の滅びを祈るのでしょう。

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 彼らは、主の家に植えられ、
 私たちの神の大庭で栄えます。(13節)

 「彼ら」とは、主に感謝をしている人たちです。朝に、あなたの恵みを、夜ごとにあなたの真実を言い表す(人たち)(詩編92編1節2節)です。

 彼らは年老いてもなお、実を実らせ、
 みずみずしく、おい茂っていましょう。(14節)
 こうして彼らは、主の正しいことを告げましょう。
 主は、わが岩。主には不正がありません。(15節)

 私(たち)も、もっともっと主を讃美し、祈る時間を持ちたいと思わせられるのです。








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2015年09月02日

Coffee Break詩編・144 聖書の神とは、みいつと御座、とこしえからとこしへ。(詩編93編1節2節)



 主は、王であられ、みいつをまとっておられます。
 主はまとっておられます。
 力を身に帯びておられます。
 まことに、世界は堅く建てられ、
 揺らぐことはありません。(詩編93篇1節)

 みいつは、御稜威と書きます。「いつ」に御が付いた尊敬語。意味は、天皇、神などの威光、強い威勢。(広辞苑)

 共同訳聖書では「威厳」。口語訳聖書では「威光」と訳されている。

 主こそ王。
 威厳を衣とし、
 力を衣とし、。身に帯びられる
 世界は固く据えられ、決して揺らぐことはない。(新共同訳)

 主は王となり、
 威光の衣をまとわれます。
 主は衣をまとい、力をもって帯とされます。
 まことに、世界は堅く立って、
 動かされることはありません。(口語訳)

 聖書の神を「どのような方であると考えるのか」は、私たちの信仰の確信を決めると言っても過言ではないかもしれません。
 聖書の神は、威厳や威光、古代では御稜威と言われたような超絶した力を放つ「恐れ多い方」なのです。万物をお造りになり、私たちに命を与えて養い、罪に堕ちた後も気に掛け続けて救いの計画を着々と実行してこられ、やがて、御子イエスの十字架で私たちをふたたび御許に連れ帰って下さる神です。私たちの想像を超えている方であるゆえに、私たちはこの方を恐れるのです。

 このような神を想像することは、伝統的に、日本人には不慣れなのではないでしょうか。なにしろ、大日如来と言われる地位の高い仏様から、自分の子どもに仮託したお地蔵様や、キツネだとみなされるお稲荷様まで、日本には「水平的関係の親しみやすい神様」が大ぜいいるからです。
 しかし、聖書の神様は、すべての創造主、お地蔵様の石から、お稲荷様の祠、仏壇仏具の木材や金属まですべて、この方によって造られたものなのです。ご威光が特別なものであるのは当然です。

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 あなたの御座は、いにしえから堅く立ち、
 あなたは、とこしえからおられます。(2節)

 御座は、新共同訳でも、御座が使われています。しかし、口語訳は「位」と訳しています。御座は、神のご臨在の場とそこにおいでになる神の特別な力を表現するための言葉で、旧約聖書では、至聖所がそれに当たると思います。

 あなたの位はいにしえより堅く立ち、
 あなたはとこしえよりいらせられます。(口語訳)

 さらに聖書の神にたいする私たちの認識で大切なのは、古(いにしえ)よりおられ、永遠(とこしえ)におられる方だということです。まさに、永遠から永遠まで存在され、永遠の時を、統べておられるのです。これは、火災や天災で壊れたり焼失したり、時代によって名前が変わったり、場所でまた、形が変わり、簡単に地域や個人の神となる「偶像」とはまったく異なる神様なのです。

 このことのゆえに、御稜威を讃え、賛美することができるのだと、改めて思うのです。






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2015年09月03日

Coffee Break詩編・145 主よ。川は、声をあげました。(詩編93編3節〜5節)




 主よ。川は、声をあげました。
 川は、叫び声をあげました。
 川は、とどろく声をあげています。(詩編93篇3節)

 ここでは、川が大国を象徴しているそうです。(新実用聖書注解・いのちのことば社)イスラエルは西にエジプト・ナイル川、東にバビロン・ユーフラテス川があって、それぞれ川によって発展してきた文明、国家でした。
 この強大な二つの文明の往来する地点にあるカナンは、聖書にある通り少数民族が入り乱れ、商人や軍隊が往来する文明の十字路でした。
 大国に挟まれ、小さな部族が戦いを繰り返しているカナンに相続地を得たイスラエルは、その地形的な条件により、いつも外敵との戦い、偶像との戦い、信仰の戦いを余儀なくされてきたのです。

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 逆巻く川のとどろきは、恐ろしいものです。岸の緑を水面に映してゆったりと流れている川が、大雨や嵐でたちまち増水して、とどろきながら石や木を押し流していく様子をみた捕囚の民・イスラエルの人たちは、恐怖に怯えたに違いありません。

 それでも、どんな時でも、神を思えば、恐怖は去るのではないでしょうか。祖のような川も主がお造りになり、川のとどろきも主がお許しになってから存在するのです。
 
 大水のとどろきにまさり、
 海の力強い波にもまさって、
 いと高き所にいます主は、力強くあられます。(4節)
 あなたのあかしは、まことに確かです。
 聖なることがあなたの家にはふさわしいのです。
 主よ、いつまでも。(5節)

 どんなあらしも、かならず過ぎ去ります。大水もやがては静まり、やがて、太陽が木々を照らし、その木々の緑が静かに水面に映される平和な時間が、戻ってきます。
 神が、すべてを支配しておられ、平和をおつくりになり、私たちを安心させて下さる日が来るのです。
 私は、自分がこのような神さまを見上げているのだと思うと、とこしえのいのちを信じ、平安にみたされるのです。

 ほんとうに、「主よ。いつまでも」です。





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2015年09月04日

Coffee Break詩編・146 主よ。復讐の神よ。光を放ってください。(詩編94編1節〜10節)



 一応、クリスチャンの私には、復讐ということばは、どこか「正視できない」「正視したくない」ひびきがあるのです。
 それは、自分が復讐など考えない「良い人」だからではなく、たぶん、復讐したい心を持っているからでしょう。

 この詩は、どうやら、復讐の念に燃えている心が歌わせた賛美です。

 復讐の神、主よ。
 復讐の神よ。光を放ってください。(詩編44篇1節)
 地をさばく方よ。立ち上がってください。
 高ぶる者に報復してください。(2節)

 「わかる。わかる」と共感する書き出しです。こんなものものしい言葉を使っていないけれど、自分も時々、つぶやいているのです。「まあ、神様がご存知だから。神様は見ておられるはずだから」「神さまが裁いて下さるわよ」
 自分のつぶやきを正当化するために、わざわざ聖書箇所を調べて復誦するのです。
「復讐は神のもの。神の怒りにまかせなさい。フムフム、申命記にも箴言にも書かれている」
 ただ、同じことは自分に対しても言えると考えると、ちょっとばつが悪くて、それで、どうかすると、自分が、まるで「復讐など考えません」と言わぬばかりの顔をしているように思えます。
 
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 主よ。悪者どもはいつまで、
 いつまで、悪者どもは、勝ち誇るのでしょう。(3節)
 彼らは放言し、横柄に語り、
 不法を行なう者はみな自慢します。(4節)
 主よ。彼らはあなたの民を打ち砕き、
 あなたのものである民を悩まします。(5節)
 彼らは、やもめや在留異国人を殺し、
 みなしごたちを打ち殺します。(6節)
 こうして彼らは言っています。
 「主は見ることはない。ヤコブの神は気づかない。」(7節)

 私の若い頃、亀井勝一郎という文芸評論家がいて、なかなか人気がありました、当時人気の左翼的論調に人道主義を加えて、どことなく儒教的な正義も混じっているような論調でした。その亀井氏が、「何が強いと言って、無神経ほど強いものはない」と書いていたのを、今でも覚えています。この場合の「強い」は横暴と同義語です。

 これは、「何が強いと言って、神を信じない者ほど強いものはない」とも言い換えられるかもしれません。
 悪いことをしてお金や地位を勝ち取って、勝者であることを勝ち誇ったり、横柄な態度で敗者を見下したりできる人はたくさんいます。神の御前に、自分を置かない人、神を恐れない人は、人間関係しか見えませんから、横暴ができるのです。
 「神などいない。仮にいるとしても、見ていない。気が付かない」と、うそぶけるのです。
 しかも、そのような考えは、どうかすると、神を信じているはずの人間をも、盲目にし、聞く耳をもたなくさせるのです。
 つぎの節では、異邦人だけでなく、イスラエル人にもそのような不信心者がいることが、指摘されています。

 気づけ。民のうちのまぬけ者ども。
 愚か者ども。おまえらは、
 いつになったら、わかるのか。(8節)
 耳を植えつけられた方が、
 お聞きにならないだろうか。目を造られた方が、
 ご覧にならないだろうか。(9節)
 国々を戒める方が、お責めにならないだろうか。
 人に知識を教えるその方が。(10節)
 主は、人の思い計ることがいかにむなしいかを、








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2015年09月06日

Coffee Break詩編・147 主は、人の思い計ることがいかにむなしいかを、知っておられる。(詩編94編11節〜17節)



 聖書の最初の殺人事件は、言わずと知れた「カインとアベルの物語」です。アベルは、カインに殺されるのですが、それはまったく不当な理由でした。神様が自分のささげ物には目を止められず、アベルのささげ物に目を止められたと思ったカインは嫉妬に狂って弟を殺してしまいます。
 殺人事件を起こした後、カインは、ハッと気が付き、自分のしたことが恐ろしくなって神様に許しを乞うのです。神様はカインをお許しになり、カインが殺されないようにカインの額にしるしをつけ、またノデの地に送り出されます。
 これは、もしアベルに妻子がいたら悔しがるような処理ではないでしょうか。
 しかし、神様は、カインを死刑にはなさらなかったのです。これは神の御心を考えるうえで、意味があるように思えます。

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 主は、人の思い計ることがいかにむなしいかを、
 知っておられる。(詩編94篇11節)
 主よ。

 「復讐の神、主よ。」と歌っていた詩人は、とつぜん方向転換をしています。

 なんと幸いなことでしょう。
 あなたに、戒められ、
 あなたのみおしえを教えられる、その人は。(12節)

 復習に関しても、神さまにゆだねようと思うのです。
 復讐は神のものという言葉を守ることが、神の御命令であると気が付いたのでしょうか。
 
 わざわいの日に、あなたがその人に
 平安を賜わるからです。
 その間に、悪者のためには穴が掘られます。(13節)

 私たちにとって大切なのは、神にある平安だというのです。
 悪者は必ず、穴に落ち込むに違いないからです。

 まことに、主は、ご自分の民を見放さず、
 ご自分のものである民を、お見捨てになりません。(14節)
 さばきは再び義に戻り、
 心の直ぐな人はみな、これに従うでしょう。(15節)

 だれが、私のために、悪を行なう者に向かって
 立ち上がるのでしょうか。
 だれが、私のために、不法を行なう者に向かって
 堅く立つのでしょうか。(16節)
 もしも主が私の助けでなかったなら、
 私のたましいはただちに
 沈黙のうちに住んだことでしょう。(17節)

 この詩人は、復讐をあきらめたわけではなさそうです。新約の戒めのように、「敵を許す」気持があるのではなさそうです。でも、自分で復讐する必要はないと気が付いたのです。
 主は、不法を行う者に向かって毅然と立ち向かって下さるに違いないから、と彼は思い直すのです。






posted by さとうまさこ at 09:10| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする