2015年09月09日

Coffee Break詩編・149 来たれ。私たちは伏し拝み、ひれ伏そう。(詩編95編1節〜6節)



 詩編95篇から詩編100篇までは、BC516年の第二神殿奉献の時に歌われたと考えられる――。(新実用聖書注解・いのちのことば社P807)

 第二神殿奉献については、U歴代誌36章22節、エズラ記6章15節に言及されています。捕囚になっていたイスラエルの民は、神のお約束のとおり、第三回バビロン捕囚(586年)から70年目にエルサレムに戻って来て自力で神殿を再建できたのです。

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 さあ、主に向かって、喜び歌おう。
 われらの救いの岩に向かって、喜び叫ぼう。(詩編95篇1節)
 感謝の歌をもって、御前に進み行き、
 賛美の歌をもって、主に喜び叫ぼう。(2節)
 主は大いなる神であり、
 すべての神々にまさって、
 大いなる王である。(3節)

 もともと、イスラエルの王は人間の王ではなく天地の王――神でした。シナイ山での神との契約が国家の始まりでした。そうであればこそ、荒野の四十年もイスラエルという国は存在し、捕囚の民である時もイスラエルは異国で他民族に吸収消滅させられることがなかったのではないでしょうか。

 神殿は、その中に、神が御住みになる場所でないのは、ソロモンも神殿を創建したときに申し上げていることです。(T列王記8章27節)
 むしろ、はじめから、神殿は、イスラエルの民が神を国の中心に置くために、総力を上げて神を見上げるために、礼拝するためになくてはならない「建物」だったと思うのです。

 捕囚の民の身分は、支配権力や領土がないためにある意味「奴隷状態」だったでしょう。だからこそ、神殿を再建するとことは、「神の選びの民」イスラエルの、アイデンティティを取り戻した喜びがあったに違いありません。

 地の深みは主の御手のうちにあり、
 山々の頂も主のものである。(4節)
 海は主のもの。主がそれを造られた。
 陸地も主の御手が造られた。(5節)
 来たれ。
 私たちは伏し拝み、ひれ伏そう。
 私たちを造られた方、主の御前に、ひざまずこう。(6節)

 再建された神殿の前で、「主の御前で、ひざまずこう」と歌う、人びとの顔が見えるようです。





posted by さとうまさこ at 10:20| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする