2015年09月10日

Coffee Break詩編・150 きょう、もし御声を聞くなら、(詩編95編7節〜11節)



 主は、私たちの神。
 私たちは、その牧場の民、その御手の羊である。
 きょう、もし御声を聞くなら、(詩編95篇7節)

 詩編95篇は礼拝への招きと不従順に対する警告の二部から成っている。(新実用聖書注解・いのちのことば社p804)

 注解書の解説は、ときに立ち往生する頭を、すっきりと整理してくれます。というわけで、私は、聖書注解書や聖書辞典から地図、国語字典から英語辞書まで、また、本やネットでいろいろな方々の解説をかなり参考にさせていただいているのです。それで、限られた私の脳はますます混迷を深めていることも多いのですが、ともかく、感謝!です。
 
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 さて、事実、熱烈な賛美の歌は、警告の言葉に変わります。

 メリバでのときのように、
 荒野のマサでの日のように、
 あなたがたの心をかたくなにしてはならない。(8節)

 これは出エジプトの途上の出来事です。(出エジプト記17章7節)
 飢えに苦しむイスラエルの民は、シンの荒野で神からのパン・マナをいただきました。ところが、つぎの宿営地レフェディムで、水がないと言ってモーセに詰め寄ったのです。
その時に、「『主は私たちの中におられるのか、おられないのか』と言って、主を試みた」と記されています。
 同じ過ちは二度としてはならないと戒められているのです。

 あのとき、あなたがたの先祖たちは
 すでにわたしのわざを見ておりながら、
 わたしを試み、わたしをためした。(9節)

 不信の罪を犯し続けたイスラエルの民にたいして、神は「二十歳以上の者が死に絶えるまでカナンに入れないと宣告され、その結果、イスラエル人は荒野で四十年間もさまようことになります。(民数記14章34節)

 わたしは四十年の間、
 その世代の者たちを忌みきらい、そして言った。
 「彼らは、心の迷っている民だ。
 彼らは、わたしの道を知ってはいない。」と。(10節)
 それゆえ、わたしは怒って誓った。
 「確かに彼らは、わたしの安息に、はいれない。」と。(11節)

 ここでの「安息」は、相続地カナンに入ることを意味していると思います。
 捕囚から帰還した民に対しては、ふたたび、「他国に凌辱され、国や神殿が崩壊するような状態が起こりうる」との、警告でしょうか。






posted by さとうまさこ at 09:35| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする