2015年09月14日

Coffee Break詩編・154 Fさんのこと(詩編98編4節〜9節)



 九十三歳のFさんは、娘さん夫婦の家の隣に住んでいます。二つの家は庇(ひさし)を接するほどですから、文字通りスープの冷めない距離です。Fさんは、かつては食堂を経営し、四人のお子さんを立派に育てた女丈夫(ジョジョウブ――力ある女性)でした。年老いて、遠い故郷から娘さん夫婦のとなりに引っ越してきたのです。初めのうちは活発に外出して、家事もマメにやっていました。しかし、最近数年はちょっと認知症の症状が現れ家にいて、ディサービスなどに行くのが楽しみの生活になっています。

 Fさんが、自分で出来ることはだんだん少なくなってきました。時々は、思いついてガスに鍋をかけるのですが、何をするつもりだったのか忘れて、鍋を焦がしてしまいます。風呂も沸かしたまま忘れるし、下着一枚のために洗濯機をまわし、一日に五回も六回も洗濯することがあります。食事は娘夫婦のところで食べることもあり、自分のペースで食べるたいときもあるのですが、どちらにしても、もう娘夫婦が食事の世話をしているのです。
 幸い、ひとりで家の外を放浪することはなく、自分の身支度は全部自分でできるのです。

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 Fさんの日課は、一日に何十回も郵便受けを見に行くことです。Fさんの住まいも独立した家屋ですから、小さな門があり、郵便受が付いているのです。
 郵便受けには、めったに何も入っていないのです。郵便物が来なくなって久しいですし、チラシやダイレクトメールもほとんど投函されることはありません。門は植木が塞いでいて、チラシを配る人も、廃屋だと思うのかもしれません。
 でも、 雨が降っても、風が強くても、寒い冬でも、Fさんは郵便受けを開けに行きます。

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 私は、Fさんが「期待する人」であることに、心打たれました。たしかに、彼女は認知症かも知れないけれど、なにかを「期待している」のです。
 Fさんの庭には、ノラ猫もやってきます。娘さんが決まった時間に食べ物を置いてあげるからです。猫は食べ物を期待してやってくるのです。
 
 Fさんは、何も入っていない空のポストに「期待している」のです。毎日、十分ごちそうで養われ、娘夫婦の愛情に支えられ、何不自由のない老後生活で、それでも、Fさんは、「良い知らせ」があるかもしれないと期待しているかのようです。

 話を聞いて、何人かの人がFさんに、たよりを出すことにしました。
 宛先に自分の名前が書いている郵便物を受け取って、Fさんの喜びようは大変なものだったのです。
 娘さんに、「この人はだれ?」と何度も聞き、日に何度も手紙を取り出しては、封筒がボロボロになるほど見返しています。

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 人間だけが郵便受けを持っています。郵便受けに期待するんだ。と気がつき、私はFさんの行動にとても感動しました。
 どんなに大勢の人に囲まれていても、どんなに満たされていても、なお、期待する自分だけのポスト――それは、きっと生まれた時、神様が持たせてくださったのではないでしょうか。


全地よ。主に喜び叫べ。
大声で叫び、喜び歌い、ほめ歌を歌え。(4節)
立琴に合わせて、主にほめ歌を歌え。
立琴と歌の調べに合わせて。(5節)
ラッパと角笛の音に合わせて、
主である王の御前で喜び叫べ。(6節)
海と、それに満ちているもの。
世界と、その中に住むものよ。鳴りとどろけ。(7節)
もろもろの川よ。手を打ち鳴らせ。
山々も、こぞって主の御前で喜び歌え。(8節)
確かに、主は地をさばくために来られる。
主は義をもって世界をさばき、
公正をもって国々の民を、さばかれる。(9節)







posted by さとうまさこ at 10:08| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする