2015年09月20日

Coffee Break詩編・160 わがたましいよ。主をほめたたえよ。(詩編103編1節〜5節)



 詩編103篇は、思わず両手を天に広げるように気持ちになる詩です。

 ダビデによる
 わがたましいよ。主をほめたたえよ。
 私のうちにあるすべてのものよ。
 聖なる御名をほめたたえよ。(詩編103篇1節)

 今月21日は敬老の日です。老人は社会を支えてきた人であり、敬われ、感謝されるべきですから、その気持ちを新たにし、記念しようということでしょう。 

★★★★★

 実際には、「老人である」ことを認めたくない人も大勢いるのです。
 ある民間調査によると、65歳以上でも、自分を老人と思う人は3.2パーセント、やや思う人は、8.9パーセント、どちらとも言えないと答えた人は、8.9パーセントと、七割近くが否定的だったそうです。これは、人生の「圏外」にいると定められているようで、抵抗があるのでしょう。どこかで、人生の「圏内」にいることを示す必要があるわけですが、実際に仕事もなくなり、体力もなくなって、死の準備が必要になると、老いを認めざるを得なくなります。否定的な側面から自分のポジションを輪切りにされるので、老人と認めたくない人が多いのでしょうね。
 けれども、この詩編を味わう舌の確かさにおいては、老人は若者よりはるかに上をいくのではないでしょうか。

 わがたましいよ。主をほめたたえよ。
 主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。(2節)

 主の良くしてくださったことの数が、老人の方が多いし、その内容も重いのは確かでしょう。

 主は、あなたのすべての咎を赦し、
 あなたのすべての病をいやし、(3節)
 あなたのいのちを穴から贖い、
 あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、(4節)

★★★★★

 仮に高齢者の入り口である65歳であるにしても、65年間も生きてこられたのは奇跡ではないでしょうか。 歴史を通じて、70歳まで生きる人が稀だったから、古稀と言われたのです。さとうも、もう70歳を超えてしまったのですが、たしかに、ここにいるのは神様が多くを赦して下さり、多くの病をいやして下さり、危機一髪の出来事からを救いだして下さったからだと、思うのです。

 ちょっと振り返っただけでも、バスに乗っていて二度衝突事故に遭いました。路面電車で脱線事故にも遭いました。車で田舎道を走っていて路肩を外れ、一メートルほど下の休耕田に落ちたこと一回。もうあと三メートル先なら、谷底に落ちるところでしたから、まさに危ないところだったのです。いちいち覚えていないのですが、四つ角で出会いがしらに、ひやり、ということも多かったのです。
 神様の憐れみと恵み、そのみことばが、とても厚く重く積み上がっている年代、それがシニア世代ではないでしょうか。
 敬老の日に、シニアができることは、「自分は老人ではない」と思うことではなく、体験を語って、神様への感謝を若い人に伝えることかもしれません。

 (主は)あなたの一生を良いもので満たされる。
 あなたの若さは、わしのように、新しくなる。(5節)

 このような確信が持てる時、ほんとうに、老人の若さが鷲のように、新しくなると、詩編の作者は約束してくれています。






posted by さとうまさこ at 09:05| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする