2015年09月21日

Coffee Break詩編・161 わがたましいよ。主をほめたたえよ。2(詩編103編8節〜14節)



 わがたましいよ。主をほめたたえよ。
 私のうちにあるすべてのものよ。
 聖なる御名をほめたたえよ。


 詩編103篇は、最高の賛美の言葉で始まります。
 それから、神がたたえられるべき方である理由が、列挙されていきます。

 まず、主・神が、私たちの咎を赦し、恵みとあわれみでおおい、一生私たちを善いもので満たして下さると歌うのです。
 そのつぎに、主の恵みと憐みがどのようなものかが、語られます。

 私たちが全能者に願うことの一つに、正義とさばきがあるのではないでしょうか。虐げられるというのは、他方で「強者」が、横暴を行なうことです。力が足りないために、力のあるものに抑圧される様子は、歴史ドラマなどにしばしば出てきます。
 イスラエルの民にとって、不条理に抑圧された時代は、エジプトにおける奴隷時代だったのでしょう。そして、主・神は、エジプトでの奴隷状態から、イスラエルの民を救い出して下さった方なのです。

 天地をお造りになり、あらゆる生き物や人間をお造りになった主は、罪に堕ちた人間のために、さまざまな形で現れて下さっています。やがて、アブラハムを召命され、その子孫に対して、大きな祝福を約束して下さったのです。
 ただし、カナンを与えて下さるとの約束は、アブラハム、イサク、ヤコブ以降、四百年を待たなければなりませんでした。
 それは,イスラエルの一族が増える期間ではありましたが、同時に、彼らが奴隷生活を体験する帰還だったのです。それがあったから、イスラエル民族と、彼らの神との結びつきは、強固なものとなったのです。

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 今、聖書を読む者には、すべては、主のご計画だったとわかるのです。捕囚期の民、捕囚から帰還したイスラエルの民が、この出エジプトの歴史を思い起こしても当然ですね。
 その深い深い主とのきずなを実感する時、わがたましいよ。聖なる御名をほめたたえよとの賛美が、迸るように彼らの口から出て来たと思うのです。

 主はすべてしいたげられている人々のために、
 正義とさばきを行なわれる。(6節)
 主は、ご自身の道をモーセに、
 そのみわざをイスラエルの子らに知らされた。(7節)
 主は、あわれみ深く、情け深い。
 怒るのにおそく、恵み豊かである。(8節)

 主は、絶えず争ってはおられない。
 いつまでも、怒ってはおられない。(9節)
 私たちの罪にしたがって私たちを扱うことをせず、
 私たちの咎にしたがって
 私たちに報いることもない。(10節)
 天が地上はるかに高いように、
 御恵みは、主を恐れる者の上に大きい。(11節)
 東が西から遠く離れているように、
 私たちのそむきの罪を私たちから遠く離される。(12節)
 父がその子をあわれむように、
 主は、ご自分を恐れる者をあわれまれる。(13節)
 主は、私たちの成り立ちを知り、
 私たちがちりにすぎないことを
 心に留めておられる。(14節)






posted by さとうまさこ at 10:53| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする