2015年09月30日

Coffee Break詩編・170 すべての民が、「アーメン。」と言え。(詩編106篇34節〜47節)



 捕囚から帰還したイスラエルの民が悔い改めたのは、神に叛き続けてきた歴史を振り返ったためです。Coffee Breakでも何度か言及しているように、出エジプトで「神の救い」を経験したにもかかわらず、イスラエルは、神との契約を守らず、神を裏切り続けてきたのです。
 すでに、カナンに入植したときに、神が滅ぼせと命じていたカナンの七部族を完全に滅ぼすことはできませんでした。異教徒である彼らと混住している状況で、彼らを滅ぼすどころか、婚姻をしたり、彼らの神を祀ったりする者が現れたのです。
 
 彼らは、主が命じたのに、国々の民を滅ぼさず、(詩編106篇34節)
 かえって、異邦の民と交わり、
 そのならわしにならい、(35節)
 その偶像に仕えた。
 それが彼らに、わなであった。(36節)
 彼らは自分たちの息子、娘を
 悪霊のいけにえとしてささげ、(37節)
 罪のない血を流した。
 カナンの偶像のいけにえにした
 彼らの息子、娘の血。
 こうしてその国土は血で汚された。(38節)
 このように彼らは、
 その行ないによっておのれを汚し、
 その行ないによって姦淫を犯した。(39節)

 「わたし以外にほかの神々があったはならない。彼らに仕えてはならない」は十戒の基本です。このような宗教的淫らさを、聖書では、「姦淫」だと見ているのです。
 主とイスラエルの民の契約は結婚契約と同じような強い人格的な絆をもつものですから、姦淫した妻に夫が「ねたむ」ように、主も、「わたしは妬む神である」と仰せなのです。

 それゆえ、主の怒りは御民に向かって燃え上がり、
 ご自分のものである民を忌みきらわれた。(40節)
 それで彼らを国々の手に渡し、
 彼らを憎む者たちが彼らを支配した。(41節)
 敵どもは彼らをしいたげ、
 その力のもとに彼らは征服された。(42節)

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 主は幾たびとなく彼らを救い出されたが、
 彼らは相計って、逆らい、
 自分たちの不義の中におぼれた。(43節)

 大切なのは、主は、幾たびとなく彼らを救い出されたということでしょう。歴史書を読むと、その実例をたくさん見ることができます。士師記はカナンに入ったものの、弱いイスラエル人が周辺国から苦しめられ、そのたびに神・主がご自分の民を救い出されているのを見ます。ギデオンを用いてイスラエルを救い出された出来事、豪放で破天荒なサムソンが、ペリシテ人との戦いの中で自ら犠牲となって死んでいった出来事など、彼らの働きはすべて、彼らの上に神の霊があったためであるとわかるのです。

 サムエルがキングメーカーとなって開いた王国の時代も、ユダ王国(南王国)とイスラエル王国(北王国)に分裂し、とくに北王国は神殿礼拝を忘れ、金の小牛を拝んで主に叛きました。南王国も北王国の影響などを受けて、神殿礼拝をおろそかにする有様でした。そのような中でも、神は働いて下さって、信仰を中興する王を起こし、周辺国との戦いにおいても奇蹟的な勝利をもたらされることがあったのです。

 それでも彼らの叫びを聞かれたとき、
 主は彼らの苦しみに目を留められた。(44節)
 主は、彼らのために、ご自分の契約を思い起こし、
 豊かな恵みゆえに、彼らをあわれまれた。(45節)
 また、彼らを、捕え移したすべての者たちから、
 彼らがあわれまれるようにされた。(46節)

 捕囚生活の中で、イスラエルの民の希望は、彼らが「神の選びの民」であることでした。イスラエルの民が各地に会堂と呼ばれる礼拝所を作って神に祈ったとき、上もまた殻らにめぐみを下さったのです。
 捕囚から帰還し、ふたたび神殿礼拝を行なう時に、イスラエル人が次のように祈ったとしても、自然なことでした。

 私たちの神、主よ。私たちをお救いください。
 国々から私たちを集めてください。
 あなたの聖なる御名に感謝し、
 あなたの誉れを勝ち誇るために。(47節)
 ほむべきかな。イスラエルの神、主。
 とこしえから、とこしえまで。

 すべての民が、「アーメン。」と言え。
 ハレルヤ。(48節)






posted by さとうまさこ at 09:51| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする