2015年10月10日

Coffee Break詩編・179 主を恐れることは、知恵の初め。(詩編111篇6節〜10節)


 異邦の民のゆずりの地を、ご自分の民に与え、
 彼らに、そのみわざの力を告げ知らせられた。(6節)
 御手のわざは真実、公正、
 そのすべての戒めは確かである。(7節)
 それらは世々限りなく保たれ、
 まことと正しさをもって行なわれる。(8節)

 イスラエルの民にとって、歴史を振りかえれば、主が誠実に契約を行なって下さったことがわかるのです。出エジプトの時同様、カナンに入るにも主のみわざが必要でした。ヨルダン川を渡るとき、川が上流で堰き止められたように流が止まったこと、カナンでの数々の戦いに勝ったことは、主がイスラエルのためにしてくださったことでした。

 神がお与えにになる戒めは、人間が作る法とは違います。聖絶の物を盗んだアカンに対する罰を、神は、人間が気付く前に見ておられ、怒りを発せられ、違反者を裁かれたのです。(ヨシュア記7章)
 
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 主は、御民に贖いを送り、
 ご自分の契約をとこしえに定められた。
 主の御名は聖であり、おそれおおい。(9節)
 主を恐れることは、知恵の初め。
 これを行なう人はみな、良い明察を得る。
 主の誉れは永遠に堅く立つ。(10節)

 贖いと聞けば、クリスチャンはイエス様の犠牲を思い浮かべます。しかし、贖いは旧約の時代から何度もあったと、聖書は記すのです。
 出エジプトとカナンの取得、バビロンからの帰還、イエス様の贖いは三度目であると、新実用聖書注解(いのちのことば社)(p816)は解釈しています。

「主を恐れることは、知恵の初め」(箴言1章7節)

 主を恐れるとは、主を信じることです。
 イエスは、トマスに、「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」(ヨハネの福音書20章29節)と仰せになりました。

 信仰が先ですね。信じた時、初めて見えるものもあるのではないでしょうか。聖書はその例話に満ちていると思います。





posted by さとうまさこ at 09:41| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする