2015年10月12日

Coffee Break詩編・181 ハレルヤ。主のしもべたちよ。ほめたたえよ。(詩編113篇1節〜9節)



 ハレルヤ。
 主のしもべたちよ。ほめたたえよ。
 主の御名をほめたたえよ。(詩編113篇1節)
 今よりとこしえまで、
 主の御名はほめられよ。(2節)
 日の上る所から沈む所まで、
 主の御名がほめたたえられるように。(3節)
 主はすべての国々の上に高くいまし、
 その栄光は天の上にある。(4節)

 昨日は、ある大学のオーケストラの演奏会に行ってきました。シベリウスの「フィンランディア」、ラフマニノフの交響曲第2番ホ短調、途中、元東京交響楽団の首席チェロ奏者だったベアンテ・ボーマンさんによるシューベルト「アルベッジョーネ協奏曲・イ短調」の演奏もあり、ずっしりと聴きごたえのある内容でした。

 さとうはオーケストラ音楽を評価するような耳をもたない者です。ですから、音楽の鑑賞の仕方としてはずれているかもしれないのですが、神様のことを考えていました。人間に音楽をお与えになった神、また、一つの楽器でもものすごい技能なのに、たくさんの楽器を使ってさらに深い音楽を創ることができる人間――その人間を創造された神のみわざに感心していました。

 私たち人間が、角笛やタンバリンで神を褒めたたえていたのは、出エジプト記にも記されています。しかし、せいぜい四千年ほど昔のことです。
 考古学資料は、一万年以上昔の遺跡から出た素朴な楽器の存在を語っていますが、いずれにしても、複雑な楽曲とその演奏を証明するものではありません。
  古代の音楽
   https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%81%AE%E9%9F%B3%E6%A5%BD

 人類の音楽文明は、わずか数千年の間に飛躍的に発展したのでしょう。そうして、現代では、あのような複雑で美しい音楽を多数の楽器で演奏し、多くの観客がその音楽に共鳴してたましいをゆすぶられる時間をもつことができるのです。
 まことに、主のお名前を褒めたたえます!と思わずにはいられません。

★★★★★

 詩編113篇は、「ハレルヤ」で始まり、「ハレルヤ」で終わっています。
 ハレルヤはほめたたえるの意味ですから、まさに、賛美の歌ですね。

 詩編113篇〜118篇や、「エジプトのハレルヤ詩編」と呼ばれている。捕囚期期間後に作られ、礼拝用に用いられたと考えられる。ユダヤ教では過ぎ越しの祭りの食前・食後に歌われた。意味は、天におられる主なる神が地上の弱い者、貧しい者の世話をして下さることに対する感謝。(新実用聖書注解・いのちのことば社による)

 だれが、われらの神、主のようであろうか。
 主は高い御位に座し、(5節)
 身を低くして天と地をご覧になる。(6節)
 主は、弱い者をちりから起こし、
 貧しい人をあくたから引き上げ、(7節)
 彼らを、君主たちとともに、
 御民の君主たちとともに、王座に着かせられる。(8節)
 主は子を産まない女を、
 子をもって喜ぶ母として家に住まわせる。ハレルヤ。(9節) 

 これはイスラエルの民がエジプトで奴隷であったことを考えれば、納得できるところですね。イスラエルは弱い者、ある意味では悪い者であったにもかかわらず、「神の選びの民」としていただいたのです。彼らを選んだあとは、神様は、イスラエルをあくたから引き揚げるようにして、導きつづけられたのです。
 「子を産まない女」は、シオンが敵に攻撃されて崩壊した後は、荒廃したシオンの姿を言い表していると考えられています。





 
 

posted by さとうまさこ at 09:02| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする