2015年10月13日

Coffee Break詩編・182 地よ。主の御前におののけ。ヤコブの神の御前に。(詩編114篇1節〜8節)



 さて、詩編114編です。詩編113編から詩編118篇までは、「エジプトのハレルヤ詩編」と呼ばれています。(新実用聖書注解・いのちのことば社)
 113篇のように、イスラエルの祭り――過越の祭り、五旬節、仮庵の祭りで歌われたと考えらえています。

 イスラエルがエジプトから、
 ヤコブの家が異なることばの民のうちから、
 出て来たとき、(詩編114編1節)
 ユダは神の聖所となり、
 イスラエルはその領地となった。(2節)

 聖書読者には、これが出エジプトだとわかるように書かれています。神様が、ヤコブ(アブラハム)の子孫をエジプトから導き出されたのは、彼らが苦しんでいて叫んだからだけではないと思います。神様は、アブラハムに約束されたように、イスラエルを選びの民とし、祝福の民とするために、エジプトから連れ出し、ご自分の民(領地)とされたのです。

 海は見て逃げ去り、
 ヨルダン川はさかさに流れた。(3節)
 山々は雄羊のように、丘は子羊のように、はねた。(4節)
 海よ。なぜ、おまえは逃げ去るのか。
 ヨルダン川よ。なぜ、さかさに流れるのか。(5節)
 山々よ。おまえはなぜ雄羊のようにはねるのか。
 丘よ。なぜ子羊のようにはねるのか。(6節)

 葦の海の奇蹟やヨルダン川が堰き止められる奇蹟は、自然をも支配される神の権威と威力を顕しています。自然界の物理的法則をお造りになったのも神なら、ときに、その法則に逆らうような「現象」を起こすことができるのも神です。つまり、神が「介入される」とき、物理的法則、理論的結論も変更されうるのです。

 神が人となって来られ、十字架上で罪のささげ物となって、私たちを贖うという出来事は、神の介入の最大のものだと言われています。

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 地よ。主の御前におののけ。
 ヤコブの神の御前に。(7節)
 神は、岩を水のある沢に変えられた。
 堅い石を水の出る泉に。(8節)

 自分の小さな人生にさえ、思いがけない出来事に救われることがあります。ある意味で、毎日、息をし、食べ、生きているのは奇蹟です。
 自然には「人格」がないように見えますが、しかし、「自然」も神の被造物です。地震などの自然現象を見ると、自然も「生きている」のがわかります。神が命じられれば、水の逆流もあり、石の中から水が流れ出ることもあると、聖書は記しています。
 







posted by さとうまさこ at 08:54| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする