2015年10月19日

Coffee Break詩篇・188 主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。(詩篇118篇1節−29節、)



 ある友人に、伝道するつもりで「あなた、神様を信じる?」と尋ねました。割合、気が強くて率直な彼女は、いくらか腹立たしげに「キリスト教の神様でしょう」と切り返してきました。
 こういう問いを返されたら、その後の伝道をどう進めればいいのでしょう。
 その先を思って、私は、瞬間焦るのです。
「ええ、もちろん、キリスト教の神様よ」と言えば、「キリスト教はいやなの」と返されそうです。
「キリスト教とか、とくに言わなくて、神様の存在を信じる?ってことよ」
「ええ、だから、ちゃんと初詣にも行っているし、墓参りにも行っているわ」
 友人は、こちらの心を見越していますから、とつぜん、まじめな伝統宗教の信者になります。
「それって、でも、本当の神様かしら」とでも言おうものなら、「キリスト教だけが本当の神様だって言うんでしょう。だから嫌いなのよ」
 こうなると伝道どころではありません。すでに対立モードに入っているのです。

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 伝道の糸口はたくさんあると思います。
「この世界を造った方がいると思う? それとも偶然に出来たと思う?」
「あなたは何故生まれて来たんだと思う?」「どうして死ぬんだと思う?」
「死んだらどこへ行くと思う?」「死後の世界があると思う?」
「この世界はどうなって行くんだと思う?」

 あるいは、
「生きているって不思議なことだと思わない?」
「毎日、空気が吸えて、食べ物が食べられて、家族や友人がいて、笑ったり、泣いたり、喧嘩したりしあえるなんて、すばらしいと思わない?」

 でも、あまりに根源的な質問は、かえってはぐらかされてしまいますね。
「そんな面倒なこと、どっちでもいいじゃん」
「神様なんか信じなくても、うまくいっているわ。今のままで幸せよ」

 「あーあ」と思わずため息です。
 さいわい、そんな時こそ、聖書の出番です。
 そんな時に、ぴったりなのが、つぎの聖句ではないでしょうか。

 主に感謝せよ。
 主はまことにいつくしみ深い。
 その恵みはとこしえまで。(詩篇118章1節)

 「良かったわね。神様に感謝できる生活で。お幸せね。あなたには神様がついているのよ」
 と、友人の幸せをともに喜びあうことはできます。神様に栄光をお返しする絶好のチャンスです。

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 主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。
 その恵みはとこしえまで。(118章29節)

 詩編118篇は、1節と同じ聖句で閉じられています。この詩編は、主のいつくしみと恵みに感謝する喜びを歌ったものでしょう。
 その理由は、主――聖書の神の、救いのわざのお働きのためであるというのが、要旨になっています。

 家を建てる者たちの捨てた石。
 それが礎の石となった。(同22節)

 明日、これについて、見てみたいと思います。 







posted by さとうまさこ at 09:52| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする