2015年10月20日

Coffee Break詩篇・189 喜びと救いの声は、正しい者の幕屋のうちにある(詩篇118篇1節−20節 Tコリント3章16節)



 主に感謝せよ。
 主はまことにいつくしみ深い。
 その恵みはとこしえまで。(詩篇118章1節)
 さあ、イスラエルよ。言え。
 「主の恵みはとこしえまで」と。(2節)
 さあ、アロンの家よ。言え。
 「主の恵みはとこしえまで」と。(3節)
 さあ、主を恐れる者たちよ。言え。
 「主の恵みはとこしえまで」と。(4節)

 詩人が「主に感謝せよ」と歌うのは、主のまことのいつくしみと、恵みの永続性のためです。イスラエル、アロン、主の信徒たちに、主の恵みの永続性について褒めたたえるよう促しています。

 つぎに、詩人がひとりの神の民として、神が彼にしてくださったことを数え上げています。

 苦しみのうちから、私は主を呼び求めた。
 主は、私に答えて、私を広い所に置かれた。(5節)
 主は私の味方。私は恐れない。
 人は、私に何ができよう。(6節)
 主は、私を助けてくださる私の味方。
 私は、私を憎む者をものともしない。(7節)
 主に身を避けることは、
 人に信頼するよりもよい。(8節)
 主に身を避けることは、
 君主たちに信頼するよりもよい。(9節)

 困難な時、人は力ある者(君主)を頼りたくなります。しかし、どんなに権勢のある人に頼るよりも、主に身を避けなさいというのです。

 すべての国々が私を取り囲んだ。
 確かに私は主の御名によって、彼らを断ち切ろう。(10節)

 困難の中でも、敵軍に囲まれることは最大の危機です。とくに、ダビデは王でしたから、国と民を守る義務がありました。

 彼らは私を取り囲んだ。まことに、私を取り囲んだ。
 確かに私は主の御名によって、彼らを断ち切ろう。(11節)
 彼らは蜂のように、私を取り囲んだ。
 しかし、彼らはいばらの火のように消された。
 確かに私は主の御名によって、彼らを断ち切ろう。(12節)

 王たるものは軍の上に君臨し、国民を動員する権限をもっています。戦時には、軍を動かし、国民を鼓舞して戦わなければなりません。敗戦は亡国を意味します。
 どんなに、備えがあってもたくさんの兵士がいても、神が味方に付いてくださらなければ勝てないのです。主が勝たせて下さったという体験を積んでからこそ、詩人は次のように歌えるのでしょう。
 
 おまえは、私をひどく押して倒そうとしたが、
 主が私を助けられた。(13節)
 主は、私の力であり、ほめ歌である。
 主は、私の救いとなられた。(14節)

★★★★★

 喜びと救いの声は、正しい者の幕屋のうちにある。
 主の右の手は力ある働きをする。(15節)
 主の右の手は高く上げられ、
 主の右の手は力ある働きをする。(16節)
 私は死ぬことなく、かえって生き、
 そして主のみわざを語り告げよう。(17節)
 主は私をきびしく懲らしめられた。
 しかし、私を死に渡されなかった。(18節)

 義の門よ。私のために開け。
 私はそこからはいり、主に感謝しよう。(19節)
 これこそ主の門。正しい者たちはこれより入る。(20節)

 幕屋は、旧約の時代、唯一の正式な礼拝場所でした。キリストのように仲保者の役割をして、神と人とを取り持っているのは大祭司でした。大祭司は幕屋の至聖所で神とお会いできる唯一の「資格者」でした。大祭司に祈ってもらうのは、律法に則った手続きが必要でした。はるばる旅をして神殿にやってきて、定められたささげ物を正式な手続きで奉納し、祭司やレビ人にそれ相応の礼もしなければなりません。
 今日ように、イエス様のお名前を唱え、賛美と感謝のささげ物だけで、いつでもどこでも主にお会いできるわけではなかったのです。なにしろ、イエス様がキリストとなって地上に来られた後は、私たちは一人ひとり「神の神殿」を持っているのですから、その恵みは格段に大きいのです。(Tコリント3章16節)

 つぎの、22節は、神様の大きな犠牲である新約の救いについて書かれています。

 明日こそ、「家を建てる者たちの捨てた石」の意味を見てみたいと思います。






posted by さとうまさこ at 09:01| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする