2015年10月26日

Coffee Break詩篇・194 あなたが、私の心を広くしてくださるからです。(詩篇119篇25節〜32節)



 私のたましいは、ちりに打ち伏しています。
 あなたのみことばのとおりに
 私を生かしてください。(詩篇119篇25節)

 聖書は、私たち人間がちりの中から取られた(創世記2章7節)と明記しています。もともと人間は「ちりの中に伏す者」だったのです。だとすれば、そのもとの形を思い浮かべている詩人は、「死んだも同然」「人として存在する前」の姿を見ているのでしょう。
 詩人は神に訴えます。「私を生かして下さい」。
 「神は私を造りだされた方」「みことばに約束がある」神様なら、自分をもう一度生きる者として下さると言った信仰がなくては、こうは言えません。
 また、ちりに伏しているも同然と感じているたましいの揺らぎがなくては、このような言葉は出て来ません。

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 この詩人が、何故「死んだも同然」になってしまったのかはわかりません。彼は神殿に来て讃美を歌う敬虔な信徒だったはずです。みことばもよく「知っていた」でしょう。
 それでも、苦しんでいるのです。詩篇119篇25節〜32節は、「ダレス」というアルファベッドで括られ、そのテーマは「悲しみ」だということです。

 それでも、主を信じる者は救いを見出せるのですから、幸いです。この詩人は神に祈り、神に自分のおかれている状況(道)をありのままに申しあげることができます。すると、神様はお返事を下さるのです。
 ある本に(※、祈りを神様の前に差し出すとき私たちと神さまとの間には、電話回線のように、ラインがつながるのだと説明がありました。それは、どのような時にも何にも優先される世界の首脳同士のホットラインのようなものです。つまり、いつでも、どんな時でも、無制限、無料、秘密厳守で神様とお話しできるラインなのです。こんな幸いがあるでしょうか。

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 私は私の道を申し上げました。
 すると、あなたは、私に答えてくださいました。
 どうか、あなたのおきてを私に教えてください。(26節)
 あなたの戒めの道を私に悟らせてください
 私が、あなたの奇しいわざに
 思いを潜めることができるようにしてください。(27節)
 私のたましいは悲しみのために涙を流しています。
 みことばのとおりに私を堅くささえてください。(28節)
 私から偽りの道を取り除いてください。
 あなたのみおしえのとおりに、
 私をあわれんでください。(29節)

 神様に祈りを差し出すことが、ホットラインの中での出来事であれば、私たちはどのような自分をさらけ出すこともできます。人間はだれでも多少とも世俗的な立場があるのですから、弱っていてちりに伏している自分を赤裸々に明るみに出したくないことも多いでしょう。

 また、相手がどれほどすぐれた人であっても、人間には限界があります。
 ヨブを見舞いに訪れた友人たちが、ヨブへの激しい同情のなかで、いつのまにか、ヨブの痛みを「いじり」「批判する」ようになって行くプロセスは、神様の眼差しがあぶり出された「人間の限界」ではないでしょうか。(ヨブ記)
 でも、主は真実な方ですから、人は言えるのです。

 私は真実の道を選び取り、
 あなたのさばきを私の前に置きました。(30節)
 私は、あなたのさとしを堅く守ります。
 主よ。どうか私をはずかしめないでください。(31節)
 私はあなたの仰せの道を走ります。
 あなたが、私の心を広くしてくださるからです。(32節)

 主は、結局彼をさばかず、はずかしめることはなさらなかったのでしょう。詩人は、ホッとするのです。こころを広くもって、ちりの中から立ち上がるのです。


  「祈りは私を変え、教会を変える」池田博著(いのちのことば社)






posted by さとうまさこ at 10:55| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする