2015年10月28日

Coffee Break詩篇・197 私は私の愛するあなたの仰せに手を差し伸べ、(詩篇119篇41節〜48節)



 聖書に基づいて神様との関係を考えるとき、私たちは神さまのことばに従って造られ、配偶者をもち、何不自由のない楽園の管理人として平安に暮らしていたのです。ところが、神さまのことばに背いて、「知恵の実」を食べたことから、楽園を追放され、人の労苦が始まります。
 しかし、楽園追放直後から、神は、罪の中に迷い出た人を救う計画を持たれたことは確実です。人を誘惑した悪魔に「刑罰」を宣告しておられるからです。(創世記3章14節15節)
 
 罪を犯したアダムとエバも互いに罪をなすりあったりしたものの、自分達が間違っていたことには気が付いていたのでしょう。また、楽園の外でも神に頼るしかないことを解っていたのでしょう。
 最初の子どもカインを産んだとき、エバは「私は、主によって一人の男子を得た」と言ったのです。(同4章1節)

 カインもまた悪魔(罪)に誘惑されて弟アベルを殺してしまうのですが、殺した後で、「悪いことをした」と悔いて神様に泣きついている。(同4章13章)
 つまり、聖書では、人は、善悪をお決めになるのは神様で、神のことばに従うことが「道」だと本源的に知っていることが明らかにされています。

 詩編の詩人が、くりかえし「みことば」に立ち返って、神様を祈っているのは当然のことかもしれません。

 主よ。あなたの恵みと、あなたの救いとが、
 みことばのとおりに、私にもたらされますように。(詩篇119篇41節)
 こうして、私をそしる者に対して、
 私に答えさせてください。
 私はあなたのことばに信頼していますから。(42節)

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 わざわざ人と論争や喧嘩をしたい人は多くないと思いますが、しかし、人と人とはぶつかるものです。衝突したときには、人はみな自分の側に正義があると主張しなければなりません。国際紛争から家庭内の兄弟げんかに至るまで、どちらにも「言い分」があるのです。これは、意識するしないに関わらず、「神の威」を借りたいのです。
 神を知らない者でも「神の威」を借りるのですから、神を知っていて、そのいましめやさとしに従おうとするものなら、もう「恵みと救い」は彼のものです。どのようにそしられようと、神のみことばが彼を弁護して下さるのですから。

 私の口から、真理のみことばを
 取り去ってしまわないでください。
 私は、あなたのさばきを待ち望んでいますから。(43節)
 こうして私は、あなたのみおしえを
 いつも、とこしえまでも、守りましょう。(44節)
 そうして私は広やかに歩いて行くでしょう。
 それは私が、あなたの戒めを求めているからです。(45節)

 真理のみことばを握っているイスラエル(ユダヤ)人たちは、その意味で完全な勝利を手にしているのです。つぎのように歌えるからです。

 私はまた、あなたのさとしを王たちの前で述べ、
 しかも私は恥を見ることはないでしょう。(46節)
 私は、あなたの仰せを喜びとします。
 それは私の愛するものです。(47節)
 私は私の愛するあなたの仰せに手を差し伸べ、
 あなたのおきてに思いを潜めましょう。(48節)








posted by さとうまさこ at 09:02| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする