2015年11月02日

Coffee Break詩篇・202 私のたましいは、あなたの救いを慕って絶え入るばかりです。(詩篇119篇81節〜88節)



 クリスマスの準備が始まっています。どこのキリスト教会でも、一年で一番待望されている教会歴の日でしょう。ですから、この期間を「待降節」とも言います。
 イエス様がご降誕になったのは、2千年余り昔ですから、クリスマスは、どうゆるやかに考えても、それ以降のように思えます。いわゆるBCADに変わってからです。私たちはイエス・キリストがご降誕されたという事実を思い起こし、その記念の日を待ち望むのです。

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 私のたましいは、あなたの救いを慕って
 絶え入るばかりです。
 私はあなたのみことばを待ち望んでいます。(詩篇81節)
 私の目は、みことばを慕って絶え入るばかりです。
 「いつあなたは私を慰めてくださるのですか。」と言っています。(82節)

 詩篇のこのような個所を読んでいると、人が、神のご降誕を待ちのぞんでいたのは、二千年間に限定された出来事ではないと、思わされます。旧約の民、結局「神の選びの民であったイスラエル人たち」のたどり着いたところは、「神を慕い」「みことばを待ちのぞみ」「いつ、あなたは私を慰めて下さるのですか」とお尋ねすることだったのです。
 「いつ?」と、切望しているのは、まさに、主のお出でになる「とき」のことではないでしょうか。

 たとい私は煙の中の皮袋のようになっても、
 あなたのおきてを忘れません。(83章)
 あなたのしもべの日数は、どれだけでしょうか。
 あなたはいつ、私を迫害する者どもを
 さばかれるのでしょうか。(84節)
 高ぶる者は私のために穴を掘りました。
 彼らはあなたのみおしえに従わないのです。(85節)
 あなたの仰せはことごとく真実です。
 彼らは偽りごとをもって私を迫害しています。
 どうか私を助けてください。(86節)

 これは、自分たちの国が崩壊し、強国の捕囚に連れ去られ、神殿さえ破壊された神の民の苦難を訴えていることばです。
 異教徒のおきては「弱肉強食」です。強い者は高ぶります。ユダヤ教の教えに従わないのは当然です。ユダヤ教徒は迫害されていたのです。そうした過酷な状況の中で、ユダヤ教徒でさえ、「みことばに従わない」者が現れたのです。ほんとうに追いつめられた状況では、人は、仲間をも売る(裏切る)のは、歴史にいくらでも事実があります。

 ユダヤ教の神に従う者が取ることができる道はただひとつです。神のみことばと、神の救いを「待ちのぞむ」ことです。

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 彼らはこの地上で私を滅ぼしてしまいそうです。
 しかしこの私は、あなたの戒めを捨てませんでした。(87節)
 あなたの恵みによって、
 私を生かしてください。
 私はあなたの御口のさとしを守ります。(88節)

 さいわい、私たちは、すでに完成された「救い」を見ています。もちろん、それは、「まだ完成されていない」「完成されつつある真の『神の国』だ」というのは、多くの伝道者の方々が教えて下さっているところです。







posted by さとうまさこ at 10:47| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする