2015年11月08日

Coffee Break詩篇・208 今こそ主が事をなさる時です。(詩篇119篇121節〜128節)



 私は公正と義とを行ないました。
 私をしいたげる者どもに
 私をゆだねないでください。(詩篇110篇121節)
 あなたのしもべの幸いの保証人となってください。
 高ぶる者どもが私をしいたげないようにしてください。(122節)
 私の目は、あなたの救いと、
 あなたの義のことばとを慕って
 絶え入るばかりです。(123節)
 あなたの恵みによって
 あなたのしもべをあしらってください。
 私にあなたのおきてを教えてください。(124節)
 私はあなたのしもべです。
 私に悟りを授けてください。
 そうすれば私は、あなたのさとしを知るでしょう。(125節)

 とても深刻な状況に置かれている人の祈りです。いきなり、しいたげという言葉が二度も続きます。迫害、抑圧、脅威がこの詩人を圧迫しているのです。その原因は、彼が不正を働いたからではなくぎゃくに、「公正と義を行なった」ためのようです。

 神の恵みを思うのは、順境にいる時より、むしろ、逆境の時です。恵みはもともと何の功績もない「人間」に神が一方的に下さる物です。それゆえ、私たちは、神の恵みを渇望します。子どもが親から与えられる愛をいくら得ても満足しないように。
 しかし、詩人は、甘いアメだけを恵みだと考えているのではないのです。神が下さるおきてや、悟り、さとしをも、もっと「知りたい」と願っているのです。

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 今こそ主が事をなさる時です。
 彼らはあなたのおしえを破りました。
 それゆえ、私は、金よりも、純金よりも、
 あなたの仰せを愛します。(127節)
 それゆえ私は、すべてのことについて、
 あなたの戒めを正しいとします。
 私は偽りの道をことごとく憎みます。(128節)

 今こそ主がことをなさる時です。なんて、じつは、大変大胆な訴えであると思いませんか。とくに、新約の民である私たちキリスト者は、このような祈りを御前に出すとき、何かためらいを覚えないでしょうか。
 私たちは、「右の頬を打たれたら、左も出しなさい」とイエスが仰せになったのを「知って」います。
また、パウロはその具体的な場での行いとして、たくさんの戒めを生まれたばかりの諸教会に送っています。

 おしえを破る人、偽りの道を行なう人は、今日も、教会の中でさえ、いいえ、自分の中にも、存在します。ただ、神はすべてをご存知なのだというのもまた確かです。
 いつでも、キリストにしたがって神の御前に出て行くことができる新約の時代の民は、その意味では、幸いです。

 偽善者や悪人はすでに報いを受け取っているのです。(マタイの福音書6章5節)





posted by さとうまさこ at 10:04| Comment(0) | 文芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする