2015年11月10日

Coffee Break詩篇・210 私の熱心は私を滅ぼし尽くしてしまいました。(詩篇119篇137節〜144節)



 主よ。あなたは正しくあられます。
 あなたのさばきはまっすぐです。(詩篇119篇137節)
 あなたの仰せられるさとしは、なんと正しく、
 なんと真実なことでしょう。(138節)

 詩篇は、日本人には大変愛されている文書だということですが、その激しい熱情に、時折たじたじとさせられることがないでしょうか。

 私の熱心は私を滅ぼし尽くしてしまいました。
 私の敵があなたのことばを忘れているからです。(139節)

 ここでの「熱心」は、新共同訳では「熱情」、英語訳は「anger」(怒り)となっています。みことばをないがしろにする者たちへの怒りで、自分が焼け滅されるほどだなんて、穏やかではありません。
 たしかに、気持ちはわかるけれど、神への熱心は、そもそも神の愛に感謝するところから始まっているのです。滅びるのは神様の御心ではないでしょうと、あえて、屁理屈を言ったりしてしまいます。
 もちろん、これは逆説的強調でしょう。確かに、みことば(聖書)を読めば読むほど、よくできているので、深い真実があるので、つい、熱心になってしまいます。

 あなたのみことばは、よく練られていて、
 あなたのしもべは、それを愛しています。(140節)

★★★★★

 私はつまらない者で、さげすまれています。
 しかし、あなたの戒めを忘れてはいません。(141節)

 ここは、この詩人の能力や立場のために「さげすまれている」のを意味しないと思います。むしろ、この人は教養のあるりっぱなレビ人だった可能性が高いでしょう。あるいは、ダビデの直系の王家の末裔だったかもしれません。けれども、国を失い、流浪の身では、たしかにさげすまれるのです。
 そのような屈辱、苦難を覚えるたびに、彼は主の戒めを思い、主に立ち返る人だったのです。

 あなたの義は、永遠の義、
 あなたのみおしえは、まことです。(142節)
 苦難と窮乏とが私に襲いかかっています。
 しかしあなたの仰せは、私の喜びです。(143節)
 あなたのさとしは、とこしえに義です。
 私に悟りを与えて、私を生かしてください。(144節)

 「主に対して真実な人が、何故苦難に遭うのですか」というような問は間違っています。
 むしろ、主が真実な方であるので、苦難と窮乏の底にいてさえ、そのことばに励まされ、正しく歩める「神の民」の恵みを思うべきなのでしょう。
 彼が苦難にあるその境涯は、人の世(悪魔)からもたらされたもの、一方、そのように悪魔にいたぶられるときに、そこから抜け出させ、生かして下さるのは、神さまだと詩人はわかっています。

 それにしても、正義感の怒りであっても、身を滅ぼしては神様が悲しまれるのにと、さとうはまた、余計な突っ込みを入れそうになります。(お許しを!)

 パウロも言っていますよ!(と、援用させて下さい)

 怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。(エペソ人への手紙4章26節) 








posted by さとうまさこ at 10:24| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする