2015年11月13日

Coffee Break詩篇・213 私の道はすべて、あなたの御前にある(詩篇119篇161節〜168節)



 君主らは、ゆえもなく私を迫害しています。
 しかし私の心は、あなたのことばを恐れています。(詩篇119篇161節)

 新改訳聖書が「君主ら」と訳していることばは、「地位ある人々」(共同訳)「もろもろの君」(口語訳)「この世の権力者」(リビング・バイブル)とも、訳されています。
 私たちは、この世を生きていますから、基本的にはだれでも「世俗の支配」に組み込まれています。そして、世俗の権力の命じることと、神のさとし(律法)とが相容れない場合、神のことばに従おうとするのです。そこに迫害が起ります。

 私は、大きな獲物を見つけた者のように、
 あなのみことばを喜びます。(162節)
 私は偽りを憎み、忌みきらい、
 あなたのみおしえを愛しています。(163節)

 世のルールと神のさとしが対立するのは、詩編の作者だけではなく、キリスト者の多くが体験することではないでしょうか。世を生きぬくためには、「偽り」を強制されることが多いのです。

 飲みたくない酒につきあい、心にもないお世辞を言い、拝みたくない神を礼拝し、ときには人を貶めてライバルを押しのけても、「結果を出すよう」強いられます。
神の御前に正しいことばかりを、しているわけにはいかないのです。

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 先日、テレビで、スターリンを取り上げていまいした。共産主義国家ソビエト連邦で三十年間に亘り独裁者として君臨し、2千万人もの人たちを粛正で殺したと言われている独裁者です。若い日の彼は教会の神学校の優等生だったのですが、司祭に叙任する寸前に棄教したのです。その理由は、テレビの中でも分析されていましたが、いずれにしても、無神論に転向した彼は、革命遂行という目的と革命政府内での出世のために手段を選ばない人間になってしまったのです。
 番組では、コメンテーター三人のうち二人が、スターリンに神を放棄させた原因として、帝政ロシアに服従する神父や教会の事なかれ主義の態度であるというような捉え方でした。つまり、神は若いスターリンの疑問に対して答えることができず、彼を救うために「機能しなかった」というわけです。
 しかし、モデルの市川紗耶さんだけが、「神を信じていたら、死後のさばきを思うはずだから、そこまでひどい暴君にはなれなかったはずだ」とコメントしていて、思わず美しい彼女の顔を見直しました。

 たしかにそうなのです。真実神に従う人ならば、つぎの聖句のように行動するはずだからです。

 あなたの義のさばきのために、
 私は日に七度、あなたをほめたたえます。(164節)
 あなたのみおしえを愛する者には
 豊かな平和があり、つまずきがありません。(165節)
 私はあなたの救いを待ち望んでいます。主よ。
 私はあなたの仰せを行なっています。(166節)
 私のたましいはあなたのさとしを守っています。
 しかも、限りなくそれを愛しています。(167節)
 私はあなたの戒めと、さとしとを守っています。
 私の道はすべて、あなたの御前にあるからです。(168節)

 せっかく救われたのだから、私も,救いを待ちのぞんで、神の前に、みおしえとさとしを求め続けるものでありたいと、思わせられるのです。









posted by さとうまさこ at 09:48| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする