2015年11月20日

Coffee Break詩篇・220 主に信頼する人々はシオンの山のようだ(詩篇125篇1節〜5節)



 主に信頼する人々はシオンの山のようだ。
 ゆるぐことなく、とこしえにながらえる。(詩篇125篇1節)


 クリスチャンは主に信頼する者です。イエス・キリストを信頼し、固く結びついているかぎり「ゆるぐことなく、とこしえに長らえる」のは、すでに保証されています。
 旧約の民には、今の私たちのような明確な「永遠のいのち」の概念はなかったようですが、神がとこしえの世界までをも支配しておられ、自分たちのいのちも神とともにありさえすれば、とこしえまでも長らえると期待していたのだろうと、推測できます。

 山々がエルサレムを取り囲むように、
 主は御民を今よりとこしえまでも囲まれる。(2節)
 悪の杖が正しい者の地所の上にとどまることなく、
 正しい者が不正なことに、
 手を伸ばさないためである。(3節)

 私が聖書の神について学び始めたころ、一番新鮮だったのは、神が「遍在している方」ということでした。神は、どこか空の一点、水の中のどこか、木や花の中、あるいは十字架の中にだけに存在しておられるのではない、ありとあらゆる場所に、私のこの部屋から、もっと言えば私の体の中からすべての人や物の中を貫いて、外の世界、地球上だけでなく、宇宙空間のすべて、まだ、人が見たこともない、観測することも不可能な宇宙の果てまでも、神はおられるというのです。これは、本当に衝撃的な「事実」でした。

 この事実を旧約時代のイスラエルの人たちは、エルサレムとその周辺の地理に置き換えています。事実、エルサレムは、山間部にあり、ほぼ標高700メートルほどです。(図鑑・バイブルワールド・いのちのことば社) 日本のように高い山々ばかりの国土からみれば、700メートルは決して高くないのですが、カナンは全体として見れば砂漠や野と言われる平地なのです。エルサレムは、地中海から死海までの緯度に沿った断面図(同図鑑)で見ても、ほぼ頂上にあるのです。まわりは山々に取り囲まれています。

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 山々に囲まれた聖地に上りながら、人びとは願ったことでしょう。主の保護と守りが、同様に自分たちの上にもあるように。

 主よ。善良な人々や心の直ぐな人々に、
 いつくしみを施してください。(4節)
 しかし、主は、曲がった道にそれる者どもを
 不法を行なう者どもとともに、連れ去られよう。
 イスラエルの上に平和があるように。(5節)

 イスラエルが経験したあまりに過酷な歴史を振り返りながら、詩人はエルサレムをめざしていたに違いありません。
 神の臨在を近くに思えば思うほど、あらためて、主の前に願いごとを差し出したでしょう。善良な者たちへいつくしみを。悪人たちには罰を(遠くへ連れ去って下さることを)。
 そうすれば、イスラエルに平和が戻って来るに違いないからです。






posted by さとうまさこ at 09:08| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする