2015年11月22日

Coffee Break詩篇・221 主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。主が町を守るのでなければ、守る者の見張りはむなしい。(詩篇127篇1節〜5節)



都上りの歌。ソロモンによる

主が家を建てるのでなければ、
建てる者の働きはむなしい。
主が町を守るのでなければ、
守る者の見張りはむなしい。(詩篇127篇1節)
あなたがたが早く起きるのも、おそく休むのも、
辛苦の糧を食べるのも、それはむなしい。
主はその愛する者には、眠っている間に、
このように備えてくださる。(2節)

 このみ言葉も有名な箇所です。また、読む人聞く人に「大きな神」を覚えさせることばです。神が全能で見えざる確かな力で、私たちを支えていて下さると思う時、私たちは、賛美と感謝で満たされるのだと思います。
 同様に、人間を謙遜にさせます。「どんな財力と能力と大きなプロジェクトチームを組んでも」、「神が建てるのでなければ」その家はむなしいのです。堅固な守りと思える城も砦も破られるでしょう。

エリコの城壁が何故崩れたのかの答えは、ここにあるのかもしれません。イスラエルの民がエリコ攻めに当たってしたことは、斥候を送り、宿の女主人ラハブから事前に情報を聞き取ったこと。神の命じられるままに、エリコの回りを毎日1周し、七日目には7周しただけです。すると、城壁がくずれ落ちたのです。(ヨシュア記6章)
 いったい何があったのか、聖書は多くを語っていません。城壁が古くなっていたとか、その前にじつは地震で地盤が緩んでいたとか、はじめから手抜き工事だったとか。
わかるのは、「人が知らない間に」城壁が崩れる状態になっていたことです。まさに、「人が眠っている間に」神がそのように備えて下さったのです。

★★★★★

見よ。子どもたちは主の賜物、
胎の実は報酬である。(3節)
若い時の子らは
まさに勇士の手にある矢のようだ。(4節)
幸いなことよ。矢筒をその矢で満たしている人は。
彼らは、門で敵と語る時にも、恥を見ることがない。(5節)

 ここでの、「子どもたち」は血縁の親子を意味すると同時に、神と人との関係でもあるように思えます。神の「救いのご計画」は、人間を通して行われ、人間の上に現れます。私たちの「ちりに帰る」命は、有限なのですから、神様にとっても、私たちにとっても、後に続いてくれる「子」は「報酬」「賜物」なのでしょう。
 考えてみると、子供も主が下さる物です。また主が背後のいて働いてくださらなければ、むなしいので。
麦がただ多く実れば祝福でしょうか。毒麦も混じっていると、聖書は語っています。ただ、それを抜くかどうかさえ、主の御心にお任せしなければいけないのです。

 空爆やテロとの報復合戦、無数の戦争の記録のなかで、それでも主は備え続けて下さったのでしょう。また、黙って祈り続けた人々がいたことを思うのです。
 ろうそくや花束を山のように積み上げるのも「祈りの形」かもしれませんが、いつも「主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。主が町を守るのでなければ、守る者の見張りはむなしい。」と、思い返す必要こそ大切だと思うのです。





posted by さとうまさこ at 08:25| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする