2015年11月25日

Coffee Break詩篇・224 主よ。あなたがもし、不義に目を留められるなら、主よ、だれが御前に立ちえましょう。(詩篇129篇1節〜4節)



 私が初めて聖書の学びをしたとき、私が一番驚いたのは、神が「愛なる方」であると同時に、「聖なる方」であるという説明です。神は天地万物をお造りになり、すべてを地上に備えられたうえで、最後にそこに人をお造りになったというのです。人を造られた理由は、「神の愛のご性質」の現れでした。神は、ご自分と語り合えるものとして、人間を「神のかたちに造られた」のです。実際、エデンの園での神と人との平和な光景は私たちをなごませるものです。この愛と平和の世界にサタンが割り込んでこなければ、それは永遠に続いたはずだったようです。

 それが、ある日、人は蛇にそそのかされて、神の言いつけに叛き罪を犯してしまいました。こんな誰もがご存知のことを長々と書くのをお許しください。なにしろ、初心の信仰者だった私は、神様がお怒りになり、アダムとエバを楽園から追放されるその突然の事態が,じつは長い間「飲みこめなかった」のです。
 しかし、神のこの素早い反応こそ、神の「聖なるご性質」に関わることだったとわかったときは、ショックと感慨がありました。

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 罪の性質が、「原罪」と呼ばれて、遺伝子のように受け継がれていくとする考え方は、少し観念的過ぎるかなとも思うのです。もし、そうだとしたら、罪の性質は、罪を犯す前から人の中に「組み込まれていた」気がします。神に似せて作られた人間は、「神にそっくり」に造られたのではないはずです。なにしろ、創造主である神に対して、人は「被造物」ですから、最初から格が違います。
 申し分のない環境と条件の中では罪を犯さなかったけれど、ちょっと「神さまが目を離された時、ちょっとしたスキに悪魔が働きかけるような弱点」があったのです。そのような人間が、神の保護と完全な環境から出された時、悪魔に「いいように」いたぶられたのは当然ですね。

 増え広がった人は、直ぐに罪に罪を重ねるようになったことが聖書に記されています。
 じつに、洪水の前夜には、正しい人はノアとその家族しかいなかったのです。
 ところが、そのノアでさえぶどう酒で酔っ払い、その息子は父親の「失敗の姿」を見てあざ笑い、他の兄弟に告げ口するのです。まさに、悪魔――「告発する者」のすがたです。

 こうした、私たちの罪の来歴を読むとき、私はつぎの詩篇に深くうなずかされます。

 主よ。深い淵から、私はあなたを呼び求めます。(詩篇130篇1節)
 主よ。私の声を聞いてください。
 私の願いの声に耳を傾けてください。(2節)
 主よ。あなたがもし、不義に目を留められるなら、
 主よ、だれが御前に立ちえましょう。(3節)

 本当に自分もこの詩人のように、「主の前に立ち得ない」と思うのですが、同時に、つぎのように書かれています。

 しかし、あなたが赦してくださるからこそ
 あなたは人に恐れられます。(4節)








posted by さとうまさこ at 11:49| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする